ヤマハOX66とその後のOX77【2】マーチ812を追うBMWエンジン| 国内モータースポーツの隆盛 第19回
【1】から続く このことは、ヨーロッパF2の影響によるもので、F1の直下に位置するF2はF1へのステップボードという性格が強く、ドライバー技量を競い合うという意味では、車両性能の統一化(ワンブランド化)は望ましい状況でもあった。こうした意味でのマーチBMWは、性能の絶対値も高いことから、ほぼ理想と呼べるF2像だった。 【画像15枚】80年代の声を聞くと同時に、長らくF2、富士GCと日本のトップレースを支えてきたBMWエンジンの前に、 思わぬ強敵が出現した。限定供給のホンダRA26#E系V6エンジンで、 またたく間に欧州、日本のF2を席巻。多くの市販BMWユーザーが劣勢に立たされる中、 技術集団ヤマハが独自の5バルブV型6気筒エンジンを開発してホンダに真っ向勝負を挑んだ 実際には、テクノのようにエンジン/シャシーとも作ってくるコンストラクターもあれば、AGSのようにタイトルを獲得するコンストラクターも現れたが、F2カテゴリーに継続的に優れた性能の車両を安定して供給できたのはマーチとBMWだけだった。 ところが、80年代に入ると同時に平穏だったF2環境に異変が生じることになる。F1復帰も視野に入れた日本のホンダが、新たに2ℓV型6気筒エンジン(RA26#E系)を開発し、ラルトシャシーに搭載してヨーロッパF2選手権に参入。ドライバーは、当時まだ無名だったが、今振り返ればアッと驚くナイジェル・マンセルを起用。翌81年にはジェフ・リースを主戦ドライバーに据え、ヨーロッパF2選手権を席巻し始めていた。 そしてこの年、日本のF2選手権にもホンダはエンジン供給を開始。生沢徹率いるI&Iレーシングで、ドライバーは当時売り出し中の中嶋悟。マーチ812に搭載し(初戦のみラルトRH‐6を使用)2勝を挙げてこの年の全日本/鈴鹿の両タイトルを獲得。翌82年はマーチ822を使って6戦中4勝と勝率を上げ、再び全日本/鈴鹿のダブルタイトルを獲得している。 限定供給(レギュラー参戦は中嶋悟1人)のホンダを相手に、BMW勢は完全に屈する力関係となっていた。 どちらかと言えば、長いストローク値からトルクを稼ぐ性格のBMWエンジンだったが、優に20~30 psは勝ると言われたホンダV6の出現により、対抗上回転馬力型のポールロッシュBキットやハイニマーダーといったショートストローク仕様の用意を余儀なくされていた。 この限定供給のホンダV6に対し、敢然と闘志を燃やしたのが東名BMWを使う星野一義で、チューナーの指示を無視する回転域まで回しながら、中嶋悟を追うレースを続けていた。
Nosweb 編集部
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