年間700杯を食べ歩く男、ラーメン官僚が語る90年代「環七ラーメンブーム」熱狂の正体と原風景
日本全国のラーメン店の発掘と紹介をライフワークとし、年間700杯以上のラーメンを食べ続け、生涯実食杯数は20,000杯超という日本屈指のラーメンフリーク、通称「ラーメン官僚」こと、かずあっきぃ氏。今回、日本におけるラーメンの歴史や文化、その進化を語り尽くす短期連載がスタートした。最初の3回では、首都圏のラーメンブームの走りである、「環七ラーメンブームとは、いったい何だったのか」をテーマに、当時の原風景を振り返る。(第1回) 【写真】弁慶の「みそらーめん」 わたしが初めて環七に足を運んだのは、1993年。それまで住んでいた京都から東京に出てきて、先に上京していた友人に「今ハマっているラーメンがあるので、食べてみないか」と言われ連れていかれたのが、環七沿いにあった板橋区常盤台の「土佐っ子」でした。 初めて食べたときは、大変な衝撃を受けましたね。「土佐っ子」はいわゆる背脂チャッチャ系のラーメンですが、一番の特徴は醤油ダレ、いわゆるカエシが、麺が茶色く染まるほど濃厚なのです。カエシにスープを注ぎ、仕上げに大量の背脂をふりかける。背脂多めで注文すると、スープの半分近くがカエシと背脂といった様相となり、最初は「え?」と、となりました。美味しいかどうかさえわからない。食べていて背徳感を覚えるし、食べた後に若干の気持ち悪さすら残る。ですが、とにかく癖になる。類まれな中毒性の高さにすぐに夢中になりました。それがわたしの環七のラーメンとの出会いです。公務員になるための勉強をしていたら、夜中に友達が「一緒に行こうぜ」って車で迎えにきてくれる。これがわたしの「環七ラーメンブーム」の原風景ですね。 後に「環七ラーメンブーム」は1987年から1995年までと整理されたので、わたしが環七に通い詰めていたのは、ブームの後期ということになります。その当時は、駅前や駅近の街中に人気ラーメン店があるという傾向は今ほど顕著ではなく、多くの人気店が幹線道路沿いに集中していたんです。 深夜まで営業していて、道路から見ても明らかにラーメン店だとわかる店構えで、ちょっと女性1人では入りにくい雰囲気。当時、夜中にラーメンを食べにいくのは、食べ盛りの若い男性が多く、夜中に一杯食べてあとは寝るだけ。ラーメンは、典型的なB級グルメとして人気を得ていました。 もちろんお客さんの中には女性もいたけれど、大抵が男性同伴。グループで来ている女性のお客さんも、知る限り記憶にありません。そもそも最もお客さんが集まる時間帯が深夜ですしね。ラーメンを食べる前に行列待ちの洗礼を受けることも当たり前でしたが、スマホもない時代だったので、待っている間に立ち話をしたりをして。一種の不思議な連帯感がありました。これは完全なわたしの心象風景ですが、通常であれば眠りに就いている時間帯にラーメンを食べることへの背徳感みたいなものを、その場にいる誰もが共有していたような気がします。