年間700杯を食べ歩く男、ラーメン官僚が語る90年代「環七ラーメンブーム」熱狂の正体と原風景
「環七ラーメンブーム」代表店はほとんど背脂チャッチャ系
「環七ラーメンブーム」当時に人気があった代表的なラーメン店を5つあげるとしたら、「土佐っ子」「千石自慢ラーメン」「弁慶」「なんでんかんでん」「らーめん香月」でしょうか。川原ひろしさんが1987年に世田谷区羽根木に開業した九州ラーメンの「なんでんかんでん」を除けば、見事に、すべて背脂チャッチャ系を出す店舗です。 よく見ていけば、その中でもそれぞれ細かな違いはありました。「らーめん香月」は比較的あっさり系に寄せた味わいで、「弁慶」は麺が太くモヤシも多めで、ガッツリ感が強め。「千石自慢ラーメン」は真っ白な背脂が丼一面を覆い、ひたすらギトギト。この中では、カエシの旨味が強い「土佐っ子」が、中毒性が最も強かったですね。「なんでんかんでん」を含むすべての店舗の共通点は、魚介を使わず、動物系素材だけでスープを採っていること。当時は、そんなラーメンがメインストリームとして人気があったんです。 ちなみに、「環七ラーメンブーム」は「なんでんかんでん」が開業した1987年を起点としていますが、「土佐っ子」「弁慶」「らーめん香月」は、それよりずっと前から営業していました。吉祥寺には「ホープ軒本舗」もありましたし、何なら、「ホープ軒本舗」の創業は1938年です。ちなみに「ホープ軒本舗」は、103の屋台を貸し出して自由に使わせていて、その中のひとつが今の「千駄ヶ谷ホープ軒」なのですが、「弁慶」や「らーめん香月」の創業者は、この「千駄ヶ谷ホープ軒」から独立したんです。
店舗前の違法駐車による交通渋滞
ちなみに、「千駄ヶ谷ホープ軒」の創業者は、1960年に赤羽で屋台を始め、1975年に千駄ヶ谷に店を構えています。創業半世紀を超える、立派な老舗ですね。 話を戻すと、だから、必ずしもすべての背脂チャッチャ系のお店が、環七沿いにあったわけではありません。当時、「らーめん香月」は恵比寿駅前に本店を構えていましたし、「弁慶」の本店は、堀切菖蒲園駅の近くにありました。ただ、環七沿いに店を出していた「なんでんかんでん」と「土佐っ子」の人気がずば抜けて高く、店舗前の違法駐車による交通渋滞を引き起こすなどの社会現象を引き起こしたので、「環七ラーメンブーム」と言われるようになったんです。 あの当時、背脂をたっぷり利かせた背脂チャッチャ系ラーメンを出す店が多かったのは、素材を巧みに使いこなし、スープ自体に濃度やコクを持たせる技術が、今ほど進んでいなかったことが、ひとつあると思います。 ですが、背脂を大量に振りかけたラーメンの人気は、ラーメンのバリエーションが増えた今でもなお、根強いものがあります。例えば、「杭州飯店」「大むら食堂」「まつや食堂」を代表格とする、背脂を大量に振りかける新潟のご当地麺「燕系背脂煮干ラーメン」は、このタイプのラーメンを出す店が、東京で人気店の一翼を担うほどですからね。手っ取り早くスープにコクを出すために背脂を用いるのは、ラーメンづくりの常道のひとつなんです。 当時のラーメン好きは、そんな背徳感が得られる味を深夜に食べられるということで、夜な夜な環七に通っていたのではないでしょうか。 構成/大泉りか
ENTAME next編集部