松本清張、古典的本格探偵小説の手法試みた『アムステルダム運河殺人事件』
ある本格探偵小説の「ひそみにならった」もの
しかしながら、たしかに『アムステルダム運河殺人事件』は或る先行する本格探偵小説の「ひそみにならった」ものではあると言える。語り手は全く言及していないが、それは、江戸川乱歩の初期の代表作の一つであり、あの名探偵の明智小五郎が初登場した短編の探偵小説『D坂の殺人事件』(1925年1月)ではないかと考えられる。 まず、小説の構造自体がよく似ているのである。『アムステルダム運河殺人事件』は前半を事実の叙述部分、後半を推理の部分と画然と分けているが、『D坂の殺人事件』も前半を「(上)事実」、後半を「(下)推理」と、物語を二つにはっきりと分けている。 また推理の部分については、『D坂の殺人事件』では語り手の「私」がまず推理を語り、その後で探偵の明智小五郎がその推理を上回る、説得力ある推理を展開するが、同様に『アムステルダム運河殺人事件』においても、まず語り手である「私」が推理を述べ、その後で探偵役と言える、元病院長で「五十そこそこ」なのに「若隠居のような身分」である医者の久間鵜吉が、「私」の説をはるかに凌駕(りょうが)する、鮮やかな推理を展開するのである。この部分が『アムステルダム運河殺人事件』の読み所である。 さらに言うと、両作品ともに精神医学の知見がポイントになっている点も共通している。もっとも、久間鵜吉が語る精神医学の学説は不正確であったりもするが、しかし久間鵜吉の推理には多くの読者は説得されるだろう。その推理を、ぜひ楽しんでいただきたい。 前述したように、物語の骨法はポーの『マリイ・ロージェ事件』よりも、小説内で言及されていない乱歩の『D坂の殺人事件』の「ひそみにならった」なのではないかと推測される。なお、アムステルダムの運河は推理作家の想像力を掻き立てるのか、有栖川有栖の『幻想運河』(『週刊小説』1995年7~12月)も、やはりアムステルダムの運河におけるバラバラ殺人事件を描いている。ただ、同じ舞台の同様の殺人事件なのに、『幻想運河』には『アムステルダム運河殺人事件』に対しての言及は一切ない。これも一番のヒントは秘せているのかもしれない。 (ノートルダム清心女子大学文学部・教授・綾目広治)