松本清張、古典的本格探偵小説の手法試みた『アムステルダム運河殺人事件』
松本清張が登場するまでの探偵(推理)小説は、犯罪の動機に関わる問題にはほとんど眼を向けることなく、それよりも犯罪のトリックを重視する探偵小説が主流であった。そういう探偵小説を江戸川乱歩は本格探偵小説と呼んだ。 それに対して清張の推理小説は、犯罪のトリックを軽視するわけではないものの、単なる謎解き小説の域を脱して、犯罪の動機やその社会的背景を分厚く叙述することで、犯罪を通して見られる社会の問題を鋭く提起しようとするものであった。しかし、『アムステルダム運河殺人事件』(『週刊朝日カラー別冊』創刊号、1969年4月)は、清張には珍しく、むしろそれまでの古典的な本格探偵小説の骨法を踏襲(とうしゅう)した小説になっている。動機の問題よりもトリックとその謎解きの面白さを狙っているのだ。(解説:ノートルダム清心女子大学文学部・教授 綾目広治)
実際にあった事件をモデルにした『アムステルダム運河殺人事件』
『アムステルダム運河殺人事件』は実際にあった事件がモデルになっている。実際の事件とは、1965年8月にアムステルダムの運河にトランク詰めにされたバラバラ死体が発見された事件で、被害者はブリュッセル滞在の日本人商社員であり、死体は首と両手首が切断されていた。海外での日本人殺人事件であり、かつ猟奇的な事件でもあったことから、事件当時は多くの新聞や週刊誌などで報道されたようだが、容疑濃厚であった、やはりブリュッセル滞在の日本人会社員が、自殺とは思われような交通事故死をしたために結局、事件は迷宮入りになったのである。 松本清張はこの事件を小説化するためにブリュッセルに取材旅行をしている。だからそれは、実際の事件の真相を突き止めるための取材ではむろんなく、推理小説を組み立てるための取材であった。実際の事件の真犯人については、清張は捜査当局とは別の考えを持っていて、犯人は被害者が住んでいたアパートの管理人ではないかと推理していたようだが、小説ではさらにその自説をも退けて、話にヒネリを加えて面白いものにするために、別の人間を真犯人とする物語にしている。 小説の前半で事件に関する当時の新聞や週刊誌の記事が数多く引用されているが、小説の語り手によると、こうした引用はエドガー・アラン・ポーの推理小説とくに『マリイ・ロージェ事件』に倣(なら)ったものである。 『マリイ・ロージェ事件』では、名探偵のデュパンが諸報道の間にある矛盾に眼を向け、そこから推理することで事件の真相を突き止めるのであるが、『アムステルダム運河殺人事件』は諸報道の矛盾というほどのものはない。またデュパンは事件の現場に足を踏み入れていないのに対して、この物語では探偵役の二人が現地に赴いているという違いもある。つまり、語り手は物語の中で、『マリイ・ロージェ事件』の「ひそみにならった」と言っているのだが、実はそれほど「ひそみにならっ」てはいないのである。