学校で「お前、臭いよと言われ… 両親は働けず風呂は週1回 「生活保護JK」だった女性が18歳で自立するまで
■困窮した当事者が届を出さない限り ――五十嵐さんが小学校高学年のときに、父親は会社をリストラされた。 五十嵐 寡黙にものづくりをする技術職ならそれほど言語障害の影響はそれほど出なかったんでしょうけれど、父の場合は大学で経済学部を出ている営業職。課長職まで昇進していたらしいのですが、役職を外され、子会社への出向を余儀なくされました。 時代の影響もあったと思います。その後バブル崩壊の波が押し寄せ、50歳目前でリストラされたんです。私が小学5年か6年のころでした。なんとか再就職したものの、私が高1のときに脳梗塞の発作を起こして、再度リストラに遭う羽目に……。 ――一方、母親も長らく統合失調症を患っており、父の代わりに精力的に働くことはできなかった。 五十嵐 母は自分が高校を卒業する時点で、統合失調症だと診断されていたそうです。大量の薬を飲み症状を抑えながら生活していました。結局、母の本当の病名を知ったのは、私が高1のときでした。 日本では困窮した当事者が届け出を出さない限りは、認定をもらえない。病気の母も、後遺症でうまく働けなかった父も、申請して手続きをすれば、おそらく障害者として認定されて、障害年金を受けることもできたはずです。困った世帯の助けになる制度を知らせてくれる方が近くにいれば、私たちの暮らしは少しは楽になっていたかもしれないですね。うまく福祉につながれていなかったことも、貧困に陥った一因だと感じます。 ■「狭小住宅」には兄が引きこもるスペースすらなかった ――家族が困窮していたのは、経済的な事情だけではなかった。母親は感情の起伏が激しく、過干渉が高じ、五十嵐さんの6つ上の兄は家に引きこもるようになった。 五十嵐 母は私たち兄妹に対してあまりにも教育熱心で、テストで95点を取っても褒められないというようなことが日常茶飯事でした。兄に対してはことさら「過干渉」が強く、兄が休校日で家にいたとき、母はそれを信じずにわざわざ学校の電話で確認を取るようなこともあったそうです。その過剰さが兄を追い詰めることになってしまって……。優等生でおとなしかった兄はとうとう21歳でキレてしまい、国立大学を中退することになりました。 ただ問題は、兄が引きこもると言っても、家が狭すぎて、引きこもるスペースが一切なかったこと。子ども部屋は私と共同で2.5畳と、猫の額ほどしかない。物理的に引きこもることができず、6畳の居間に常に4人家族が顔を合わせる状況でした。