【A東京vs長崎3連戦が激熱】伊藤拓摩&大司の兄弟GMが約束「熱い試合をお見せします」
Bリーグ2023-24シーズンの開幕から快進撃を続けるアルバルク東京と長崎ヴェルカ。A東京はリーグ随一のディフェンス力を披露して2018-19シーズン以来のリーグ制覇を狙う。一方、長崎はB1初年度にも関わらず持ち前のスピードに乗ったオフェンスを武器に強豪がひしめき合う西地区で上位をキープする。 この2チームが12月13日にアリーナ立川立飛で行われる天皇杯3次ラウンドで初めて公式戦で相まみえる。さらにその週末には戦いの場を長崎のホーム、長崎県立総合体育館に移してBリーグのレギュラーシーズンで激突! 実に3連戦が予定されているのだ。 A東京と長崎は何かと関わりの深いチーム同士であることは多くのファンは認知しているところだろう。今回は「ザック&馬場対談」に続いて、長崎の伊藤拓摩GMとA東京の伊藤大司GMの“兄弟”対談を実施。ともに高校、大学とアメリカで学んだ経験が、現在のチーム作りにどのように影響を与えているかなどをうかがった。 取材協力=アルバルク東京、長崎ヴェルカ インタビュー=入江美紀雄 構成=吉川哲彦
アメリカ留学を後押ししてくれた両親に感謝
――三重県鈴鹿市出身のお二人のバスケットとの出会いについて、まずは拓摩さんからお願いします。 拓摩 私は小学校2年の終わりですね。当時住んでたアパートの2階にいたお兄さんがミニバスをやってて、そのアパートに手作りのリングを作ったんです。それで興味を持ったのがきっかけで、同じチームに入りました。負けず嫌いなのでどんどんハマっていきました。 大司 僕は完全に兄の影響ですね。実家がうどん屋で、幼稚園の頃はほとんど家にいて祖父母に面倒を見てもらってたんですが、ずっと家にいるのもと思って兄の練習をよく見に行ってたんです。それで、小学校に入ったらバスケットをやると決めてました。 ――大司さんは創徳中学で全中で準優勝してますが、拓摩さんの頃はどうだったんですか? 拓摩 弱かったです。でも当時は「どうすればNBA選手になれるか」と子どもなりに考えて、今周りにいるライバルたちと同じことをしても意味ないなという考えが一番にありました。今でもそうですが、自分がやりたいと思うことに没頭できるし、ワクワクを優先する性格。もちろん中学生1人の力でアメリカに行けるわけじゃないので、両親やいろんな人のサポートがあってのことだと思います。 ――1人でアメリカに行かせるご両親の決断もすごいですね。 拓摩 私の娘も今15歳でアメリカに1人で行ってるんですが、時代が違いますし、私がアメリカのことを知ってて行かせてるので、そうじゃなかった両親はすごいと思います。特に父親はいろんな経験をしてほしいと思ってたみたいで、僕がアメリカに行く飛行機を見送った時に「拓摩頑張れ、負けるなよ!」みたいなことを飛行機に向かって叫んでたらしくて、大人になってからそれを聞いて号泣しましたね。 大司 母親と僕は寂しくて半分泣きそうな感じだったんですが、父親は飛行機が飛び立った瞬間から叫んでるから、僕たちは逆に引いちゃって(笑)。でも、兄の姿を見てたからこそ、自分もと思いましたね。僕が小学校6年生になるタイミングで兄が1回帰ってきて、スキルを見せてもらったりビデオを見せてもらったりして、衝撃でした。その時点で親にも言って、11歳から夢を描き始めました。 ――拓摩さんは大学で指導者の道を選んだんですか? 拓摩 いや、高校最後の年です。アメリカは高校が4年あるんですが、4年生になる前に19歳になったらプレーできないと知って、その日はショックで寝られませんでした。でも、毎年夏に日本に帰った時に弟がいた小学校や中学校に教えに行ったりしたのが楽しくて、教えることも好きというのを思い出して、本当に自分に向いてるのはそっちなんじゃないかと思って、その一晩の間に逆にワクワクに変わっていきました。 ――一方で大司さんは選手としてポートランド大学に進むわけですが、なぜ日本に帰ってきたんでしょうか? 大司 バスケットを続けるためです。卒業後に普通の仕事の話もいろいろいただいた中で、日本のチームからオファーを受けて、迷ったんですがやっぱりバスケットを続けたかった。そのオファーがなかったら、アメリカに残ってビジネスマンになってたかもしれません。