事故死したケンペスへ捧げた。J1復帰セレッソ大阪の柿谷が涙した理由
最後にもうひとつ。愛してやまないセレッソをJ1昇格へ導いたことで、背負ってきたプレッシャーや責任感から解放された安ど感が柿谷を号泣させてもいた。 セレッソからのラブコールを受けた昨年の秋。バーゼルで確固たる結果を残していなかったこともあり、柿谷は志半ばでのUターン移籍を逡巡することも少なくなかった。 最終的に復帰を決意したのは今年1月。柿谷の移籍後は空き番となっていた、クラブのレジェンドだけに託される「8番」を再び身にまとった柿谷は、プレッシャーを認めたうえでこんな言葉を残している。 「こういうプレッシャーをはねのけてJ1へ上がれるように、何よりも僕自身がこのプレッシャーを力に変えて、ひと皮、ふた皮と剥けていけように、勝利だけを意識して戦っていきたい」 だからこそ、まさかの負傷とともに強いられた長期離脱は、柿谷にとってショックだった。自身が不在の間、何とかもちこたえてほしい。必ず復帰して、最後の大事な戦いで力になってみせる。熱い思いがほとばしる背中を見ながら、盟友でもあるボランチの山口蛍はともに号泣した柿谷の胸中を代弁する。 「曜一朗は背負ってきたものの大きさが違うから」 岡山戦は時間の経過とともに両足が痛み出した。それでも歯を食いしばって前線から相手を追い回し、ときにはバランスを崩して転倒するシーンもあった。時間を稼ぎたい思いからか。5分間のアディショナルタイムに突入する直前には、遅延行為で今シーズン初のイエローカードももらった。 「やっぱり5ヶ月も休んでいたので足が最後までもつわけもなく、いろいろなところにガタが出ることは自分でもわかっていた。段階を踏まなければいけないところを、試合に出るためにメディカルスタッフにお願いして飛ばして、飛ばしてやってきた。ゆっくりする時間はないと思っていたので。満足できる結果でJ1へ上がれたわけじゃないし、反省すべきところもあるけど、いまはとりあえずゆっくり休みたい。またメディカルスタッフにもお世話になると思うので」 バーゼルへ移籍した2014年夏。柿谷はファン・サポーターの前で「もっともっと強くなって、8番が似合う選手になって帰ってきたい」と決意を表した。あれから2年半。宣言通りに特にメンタルの部分でたくましくなったエースの笑顔と涙が、カクテル光線に映えた。 (文責・藤江直人/スポーツライター)