ダイハツ軽ボンネットバン「ミラクオーレ」は、どのようにしてスズキ・アルトとの差別化を図ったのか?【歴史に残るクルマと技術045】
●ダイハツ・ミラクオーレが登場した1980年は、どんな年
1980年には、ダイハツの「ミラクオーレ」の他にも、マツダの5代目「ファミリア(DE型)」も発売された。また、日本の自動車生産台数が初めて年間1000万台を超え、国別の生産台数で世界1位となった記念すべき年である。 5代目ファミリアは、マツダ初のFF車でスタイリッシュなフォルムと俊敏な走り、“赤いファミリア旋風”を巻き起こして大ヒット。経営が悪化していたマツダの救世主になった。 その他、モスクワオリンピック開催(日本や欧米67ヵ国が不参加)、イラン・イラク戦争勃発、プロ野球の王貞治と歌手の山口百恵さんが引退、元ビートルズのジョン・レノン氏の銃殺事件が発生。大塚製薬「ポカリスエット」、タカラの「チョロQ」が発売された。 また、ガソリン155円/L、ビール大瓶240円、コーヒー一杯250円、ラーメン310円、カレー400円、アンパン80円の時代だった。 ・・・・・・・ スズキ「アルト」のライバルとして、軽ボンネットバンという新しい市場を開拓し大ブームを巻き起こした「ミラクオーレ」。排ガス規制の強化で停滞していた1980年代の軽市場を活性化するという重要な役目を果たした、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。
竹村 純