ダイハツ軽ボンネットバン「ミラクオーレ」は、どのようにしてスズキ・アルトとの差別化を図ったのか?【歴史に残るクルマと技術045】
●ミラのボンネットバンとして登場したミラクオーレ
フェローMAXは軽の新規格に対応し「MAXクオーレ」となり、その後モデルチェンジして1980年に「クオーレ」を名乗った時に、アルトに対抗する形で兄弟車としてボンネットバンの「ミラクオーレ」が誕生した。 スズキの一般的なハッチバックに対して、ミラクオーレはハッチバックながら“FF 1.5ボックス”というレイアウトで、エンジンが収まるフロント部をコンパクトに仕上げた上で全高を高くし、室内空間と荷室空間を広くしたことが特徴。この設計思想で、アルトとの差別化を図ったのだ。 パワートレインは、最高出力29ps/最大トルク4.0kgmを発生する550cc直2 SOHCエンジンと4速MTおよびオートクラッチ4速の組み合わせ。オートクラッチとは、MTをベースに、ミラクオーレの場合はバキューム式(通常は電磁クラッチ)でクラッチを自動断続する2ペダルである。 車両価格は、アルトよりやや高いが49.3万円の低価格。安価な価格と優れた燃費性能、加えて1.5ボッスの実用性の高さから大ヒット。乗用車版のクオーレの販売台数を大きく上回り、アルトに負けない販売を記録しダイハツの大黒柱へと成長したのだ。
●ブームは軽ボンネットバンからハイトワゴンに
アルトとミラクオーレの大ヒットを受け、スバルや三菱自動車からも軽ボンネットバンが相次いで投入され、1980年代は軽ボンバンブームで軽市場は活況を呈した。 ところが、1989年に物品税が廃止され消費税が導入されたため、商用車の割安感が少なくなり、軽ボンネットバンブームは下降線を辿ることに。その後、アルトもミラクオーレ(その後、ミラに変更)は、軽乗用車セダンとなり長くライバル関係が続いた。 1990年代を迎えて、軽ボンネットバンの代わりに軽市場を席巻したのは、1993年にスズキから登場した「ワゴンR」が開拓したハイトワゴンブームだった。ダイハツは、1995年にライバルとなる「ムーヴ」を投入し、現在も熾烈な販売競争を繰り広げている。 ハイトワゴンブームはその後、爆発的に拡がり、ハイトワゴンとさらに背の高いスーパーハイトワゴンの市場シェアは、現在の軽乗用車の70%程度を占める軽の主流となった。単なるブームではなく、軽自動車の標準となっているのだ。