吉高由里子『光る君へ』48回を走り抜けて。私のなかの「まひろ」はまだ終わっていません
◆紫式部を演じて ━━『源氏物語』の作者である紫式部を演じたことに対してどんな感じでしたか。 紫式部はものすごく集中力のある方だったと思いました。思いついたことはすぐ書いておかないと忘れてしまうでしょ。瞬間的に出てきたアイデアを書いていく、物語を生み出していく、想像力を広げていくのって、すごいことですよ。そして、人間をよく見ている方だなと感じました。 まひろが物語を書いているシーンは、とても重要でした。私は根本知先生の書道指導を受け、必死で練習をしました。本来、左利きなのですが右手で練習。お芝居なら相手がいますが、家での書道の練習は1人で、とても孤独でした。 ━━まひろは彰子のサロンの女房でいる時や宴の時などに、なにかあっても台詞のない顔の表情だけのシーンが多くありましたが。 『光る君へ』は、監督によりカットの間合いが全く違いました。15秒くらい顔だけを撮影していることもあり、終わった時、「このシーンの感情は出ていましたか?」と、おびえながら監督に聞いたこともあります。(笑) 台詞があると視聴者の方々とシーンを共有できますが、無言の時は、私のいまの表情で視聴者の方々に気持ちが伝わっているのか?どう解釈されているか?と考えてしまい、難しかったです。 ━━第45回で、まひろは娘の賢子(南沙良さん)の出生の秘密を道長に告げますが。 まひろはようやく腹をくくり、賢子が道長の子どもであると言えましたね。それを言って、道長が揺らぎ、道長の政治への強い思いに影響がでるのではないか、とまひろは思っていました。まひろは道長が気づいているのか、気づいていないのか、という気持ちに決着をつけられたのかなと思います。 ━━『光る君へ』ではセットや衣装なども話題になりましたが。 為時邸も廃邸もそうでしたが、スタジオ内にそれぞれ違う池を作ってしまうのには驚きました。曲水の宴の川の流れにも感動しました。さすがNHKの大河ドラマですよね。 内裏や土御門邸の建物も調度品も衣装も、全てが優雅ですばらしかったです。 まひろに道長から贈られた檜扇(ひおうぎ)には、有職彩色絵師の林美木子先生による、まひろと三郎(後の道長)の子どもの頃の初めての出会いのシーンが描かれていました。「国宝級」なので、誰よりも何よりも大切にされていました。貴重な品に触れることができたのは、ドラマに出演した特典ですね。 琵琶を奏でるシーンがありましたが、琵琶はまひろが幼い時に亡くなった母親の代わりだと思っています。まひろが琵琶を手にするときは、「おかあさ~ん」と心の中で呼んでいる時なのです。
◆最終回をむかえるにあたって ━━最終回をむかえるにあたっての言葉をお願いします。 全48回を走り抜けられたことは、嬉しいし、安堵感があります。 しかし、終わってしまうことは、とても寂しい。10月25日にクランクアップしましたが、『光る君へ』の世界にずっと浸っていたい。 私のなかの「まひろ」はまだ終わっていません。 視聴者の皆様の心に残る作品にしたいと思い続けてきました。それは実現できたでしょうか?御覧いただき、本当にありがとうございました。 (構成=しろぼしマーサ)
吉高由里子
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