旅人、釣り人、警官─キツネはさまざまなものに化けて私たちをだました
キツネは、ときに人間に化けて人を陥れていた──現在では昔話の童話本のなかでしか見られないような話が、数多くの人々の日常のエピソードとして語り継がれてきたのである。 八百万の神のなかには「お菓子の神様」がいることを知っていますか ※本記事は『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節)の抜粋です。
人に化けてだます
さて、次にパターンⅢをみてみることにしよう。それは人間に姿を変えたキツネが人をだますというかたちである。このかたちも以前の村ではよくあって、多くの人たちがこの手でキツネにだまされていた。夕方道を歩いていると、向こうから旅人が歩いてくる。旅人と会話をし、よかったらと饅頭をもらう。それはそれは美味しい饅頭で、村人は食べながら家に帰る。 と、それをみた家族が言う。「馬糞なんか食べてどうしたんだ」。気付くと饅頭は馬糞をまるめたものだった。 人がキツネにだまされていた頃は、農山村には農耕馬などの牛馬がたくさんいたのである。あるいは次のようなものも代表的なものだろう。やはり夕方の道で会った旅人に、この先に温泉が湧いていると教えてもらう。「はて、そんなところに温泉はあっただろうか」と思いながらもついて行くと、確かに河原によさそうな温泉が湧いている。それなら、と温泉に入るとこれが気持がいい。 と、しばらくして人の声がする。「おい、この寒いのに川の中で何やっているんだ」。気が付くと冬の川につかっていた。 同じように旅人に近道を教えてもらい、一晩中山のなかをさまようはめになってしまったとか、饅頭以外のものをもらったり、道に女性が立っていておかしなことになってしまったりと、このパターンにはいろいろなかたちがある。旅人や女性がキツネの化けた姿であることはいうまでもない。
正体を明かしてもだまされてしまう人々
さて最後のかたち、つまりパターンⅣは少々手がこんでいる。もっとも高級なだまし方だといってもよい。たとえばこんなものがある。 利根川中流のある河原は釣りの好ポイントである。釣り人はそこで日が暮れるまで釣りをし、暗くなった河原の草原を歩いて道に戻り家へと帰る。草原のなかにも、人が歩くうちにつけられた細い道がついている。 ある日釣り人が家に帰ろうと暗い河原の道を歩いていると、前方からこちらに歩いてくる人がいる。近づいてくるとその人も釣りに来たらしい。竿をもち、ビクを下げている。反対の方向に家があるのだろう。そんなふうに思っていると、すれちがうときに相手は足を停め、声をかけてきた。こんなときの釣り人の挨拶はだいたい同じで、「釣れましたか」というようなものである。 はたして相手は「釣れましたか」と声をかけてきた。「いや、まあほんの少し」などと釣り人は答える。釣れているときは何となく自慢げな気持になって、しかしひかえ目に答えるのが多くの釣り人のクセである。 「そりゃあすごい。私など全くダメでしたよ」などと相手が言う。「いや、今日は運が良かったらしく」などと言いながらも、相手が釣れていないと自分の腕がよかったような気分になって、釣り人はますます気持がいい。「いやあ、たいしたものですなあ。私なんぞこの川には魚がいないんじゃないかと思ったほどですよ」。釣り人は名人になったような気分になってくる。 「ちょっと見せてもらってもいいですか」。釣り人はビクを開け、「それほどのものでもないが」とか言いながら釣った魚をみせる。相手は手を伸ばして、魚を手にとり「いや、これはすごい」とか言う。こうして釣り人の気分が最高潮になった瞬間、相手は一瞬にして姿をキツネに戻し、魚をもって草のなかに走り去ってしまう。「しまった、やられた」 この河原では、そういうことがしょっちゅう起こるようになったので、だんだんこのキツネの存在は釣り人の間では有名になっていった。誰もが取られまいと用心をし、帰り道の河原で他の釣り人に会っても、ビクを押さえ、押し黙って急ぎ通り過ぎるようになった。声をかけても、返事をする者もいないほどである。 ところが、どんなに用心しても、やはりキツネに釣った魚を取られつづけた。ときには女性や子どもに姿を変え、ときには老婆となり、ときには道に迷った旅人や警察官、工事関係者となって、言葉たくみに魚を取っていくのである。魚を取るとキツネに姿を戻して逃げていくのだけは変わらない。 この場所では人をだますキツネが出ることをあらかじめ人々に教えておき、それでもだます。それが第四のパターンである。ときには、キツネが人に姿を変えるところをあらかじめみせておき、それでもだますというキツネもいたらしい。人々はこういうキツネを智恵者と呼んだ。(続く) レビューを確認する なぜ昔の日本人は、不可解な現象を「キツネ」のせいにできたのか。第3回では、現在とは違う世界のとらえ方が大きく関わっていることを見ていく。
Takashi Uchiyama