なぜ10歳年下の妻は少しも死に動じないまま<あっぱれな最期>を迎えることができたのか…夏目漱石の名句から見出したそのヒントとは
2022年、61歳の奥様に先立たれたというベストセラー作家の樋口裕一さん。10歳年下の奥様は、1年余りの闘病ののちに亡くなられたとのことですが、樋口さんいわく「家族がうろたえる中、本人は愚痴や泣き言をほとんど言わずに泰然と死んでいった」そうです。「怒りっぽく、欠点も少なくなかった」という奥様が、なぜ<あっぱれな最期>を迎えられたのでしょうか? 樋口さんがその人生を振り返りつつ古今東西の文学・哲学を渉猟し「よく死ぬための生き方」を問います。 【書影】ベストセラー作家は自分の妻の死をどう受け止めたのか?『凡人のためのあっぱれな最期』 * * * * * * * ◆妻に先立たれ、「死」が身近なものとして迫ってくる 妻の死という大きな出来事があると、どうしても死を意識してしまう。 私は、しばしばコンサートに行くが、その時も、「そういえば、あの時、〇〇さんをこのあたりで見かけたが、数年前に亡くなったんだった」と思い出す。「あのころはあの人は元気だったが、もう亡くなった」「あの人は癌で亡くなった」。 そんなことが頭をよぎる。「人は死ぬ」「誰もが死ぬ」「目の前のこの人も、そしてもちろん私も近いうちに死ぬ」。そのことが、リアルなものとして私に迫る。 コンサートだけでなく、どこに行っても、何をしても、それが頭から離れない。友人にメールやLINEで連絡を取る。なかなか返事が来ない。「もしかして死んでいるのでは?」「また親しい人を亡くしたのではないか」という恐怖を覚える。もちろん、これまでそのような心配が実際に起こったことはほとんどないのだが、それでも恐怖を覚える。 もちろん、妻の死後も楽しいことはたくさんある。うれしいことはたくさんある。孫と話すと幸せになる。音楽を聴くと感動する。旅行に行くと目を奪われる。気の合う人と一緒にいると楽しい思いをし、笑い転げる。 だが、しばらくは心の奥底で死の音が鳴り続けていた。まるで通奏低音のように、私の心の奥底で常に死のメロディが鳴っていた。道を歩いていて、ふと自分が険しくて暗い表情をしていることに気づくことがあった。
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