80年前の津波で多くの犠牲者…南海トラフ地震に備え高齢化進む町で『高台移住計画』検討 抵抗ある人も
2024年1月1日に発生した能登半島地震から、まもなく1年が経つ。南海トラフ地震はいつ起きてもおかしくないとされているが、今から80年前に起きた、昭和東南海地震の際、津波で多くの命が失われた三重県大紀町では、避難が難しい高齢者を守るため、事前に高台へ移住させる計画が進められているが、課題もある。 【動画で見る】80年前の津波で多くの犠牲者…南海トラフ地震に備え高齢化進む町で『高台移住計画』検討 抵抗ある人も
■80年前の“東南海地震” 津波で64人の命が失われた三重県の町
昭和東南海地震は1944年(昭和19年)12月7日午後1時半過ぎ、紀伊半島沖を震源に発生した。マグニチュードは7.9で、東海地方を中心に1200人以上が犠牲となった。
三重県の伊勢志摩地域にある大紀町では、64人が命を落とした。犠牲となった全員が、町で唯一海に面した、錦地区の住民だった。
錦地区に住む西村定吉さん(91)は当時11歳で、ススキの穂を採るため友人らと近くの山に向かっていたとき、地震にあったという。 西村定吉さん: 「ダダダダって(揺れが)来たもんで、歩くに歩けんもんで。その時に『津波が来るもんで逃げよ』という人は1人おっただけやった。それでわしら山に上がって、だけど『津波が来るっていうけど来やへんやないか』って。それでまた下りてったわけや、家まで」
地震発生からおよそ15分後、錦地区に津波が到達し、高さは最大6メートル以上に及んだ。
西村定吉さん: 「先祖さんの位牌置いてあるで、持ってこなあかん。『じいやん、ばあやん置いて出てきたから家に帰らんといかん』って。下りた人は10人か15人か、6割か7割くらい流されたな」
同じ錦地区に住む83歳の女性は、母親が津波の犠牲になったという。 錦地区の女性: 「いったん潮が下がったんやわ。みんな油断して荷物を取りに行ったらしいわ。(母親は)位牌を取りに行ったら流されて。すぐ見つかったけど、向かいの浜に流れとって」
低い所で海抜2メートルほどの錦地区では住宅477戸が流され、亡くなった64人はすべて津波によるものだった。
■地区人口の3分の1が後期高齢者…タワー等の備え進むも「よう上がるかな」
過去の地震の教訓から、大紀町は錦地区に高さ20メートルを超える2つの避難タワーを建設した。 大紀町の西村周英副町長: 「津波の避難所を高台にという形で、この地区の周りが川に囲まれていまして、山の中腹まで行くことができないので、人工の高台を整備した」