引退→スカウト転身も「苦しかった」 悪すぎた球団内の仲…「ようこれでやってるな」
1997年から広島スカウト一筋…白武佳久氏は今年から統括部長を務める
広島、ロッテで活躍した右腕・白武佳久氏は1996年シーズン限りで現役を引退して以降、広島でスカウト業一筋だ。ひたすらカープを強くするために、いろんな方面に人脈を広げ、多くの選手と関わってきた。もちろん成功した選手もいれば、力及ばずチームを去った選手もいるが、中でも思い出の選手といえば……。2024年からスカウト統括部長を務める白武氏が、過去を振り返るとともに、明大・宗山塁内野手ら今年のドラフト目玉選手についても語った。 【映像】グラブ投げつけ、踏むわ踏むわ…ブチ切れて扇風機をボコボコ 実質1996年オフから始まった白武氏のスカウト人生。「社会人の1年目からやり直しみたいな感じでした。すごい世界でしたよ。当時のカープのスカウトは僕を獲ってくれた苑田(聡彦)さん、上に備前(喜夫)さんがいて、宮川(村上孝雄)さん、渡辺(秀武)さん、宮本(洋二郎)さん、佐伯(和司)さん、そして僕の7人でやっていましたが、最初は苦しかったですね。仕事に関してではないですよ。人間関係が苦しかったです」と話す。 いったいどういうことか。「身内は仲が悪い人ばかりで、ようこれでやっているなというくらい。いや、これはホントですよ。みんな、それくらい個性の強い方ばかりだったんです。あまりしゃべらないしね。足を引っ張ったりすることはないんですけどね。で、それをまとめていたのが、今の社長(松田元オーナー)なんです」。白武氏は、そんな独特なムードの中、育成のカープを支える凄腕スカウト軍団の一番下っ端として修行を開始したわけだ。 「どこに挨拶に行けとかは言ってくれましたけど、野球に関しては誰も何も教えてくれませんでした。自分で勉強しろ、みたいな感じでしたね。僕はピッチャーのことはわかっても野手に関してはわからなかった。でも、それも自分で勉強していくしかなかったですね」。スカウトとして一番最初に関わった選手は1997年ドラフト会議で4位指名したプリンスホテルの小林幹英投手(現・広島3軍投手コーチ)だったという。 「苑田さんと一緒に行かせてもらって勉強しました。その最初が小林幹英でしたね。それから春日丘の酒井(大輔投手、1998年7位)、河内(貴哉投手、国学院久我山、1999年1位)。日大山形の栗原(健太内野手、1999年3位)は真っ直ぐには詰まるけど、変化球はガーンと打っていましたね……」。同じ長崎出身の今村猛投手(2009年1位、清峰)、大瀬良大地投手(2013年1位、九州共立大)は担当ではなかったが、挨拶には行ったそうだ。