「エルサレム」とはどんな場所か? 地理的、歴史的に振り返る
●膨らんでは消える和平機運
イスラエルとパレスチナの対立は、冷戦終結後に一時緩和しました。米国の仲介による1992年のオスロ合意でイスラエルは、パレスチナ側の停戦を条件に、パレスチナ自治政府の発足を認め、その将来的な「国家」としての独立について協議することを約束。その後、双方は断続的に和平交渉を進めてきました。 ただし、そこでは「合意しやすいところから合意していく」ことが優先されたため、「合意の得にくい問題」は先延ばしにされてきました。そのなかには第一次中東戦争以来のパレスチナ難民の帰還問題とともに、エルサレムの帰属も含まれます。そのため、イスラエルによる実効支配が続くなか、オスロ合意に基づいてヨルダン川西岸に発足したパレスチナ自治政府は東エルサレムではなく、その北方約10キロにあるラマラに置かれています。 ところが、一時緩和した両者の関係は、2001年以降の対テロ戦争を機に再び緊迫の度を強めました。2002年にイスラエルは、パレスチナに武器を運んでいた船舶を公海上で拿捕。「パレスチナ自治政府のテロへの関与」を主張してイスラエル軍がラマラを占拠する事態となりました。これと並行してイスラエルは、「テロ対策」としてヨルダン川西岸のユダヤ人入植地とパレスチナ人居住区の間で分離壁の建設を開始。これに対して各国からは「テロ対策を口実に実効支配を既成事実化している」という批判があがりました。
●エルサレム問題の行方は
エルサレムの帰属に関して、これまで主に2つの解決案が提示されてきました。 第一に、サウジアラビア政府が2002年に提示した、イスラエル軍の即時撤退、東エルサレムを首都とするパレスチナ国家の樹立、難民の帰還――の3点を引き換えに、アラブ諸国がイスラエルとの関係を正常化する和平構想です。イスラエルの実効支配によってエルサレム全域をパレスチナのものにすることが困難であるなか、「東エルサレムを将来的なパレスチナ国家の首都」とする案は、パレスチナ側からも受け入れられています。 第二に、EUが提案する「統一エルサレムをイスラエルとパレスチナが共用する」案です。この案は1980年代に米国でもみられたもので、イスラエルとパレスチナ双方の納得を得ようとするものです。 これに対して、対テロ戦争を機に、それまで以上に実効支配を強化するイスラエルは、ユダヤ教保守派の政治的影響力の拡大も手伝って、統一エルサレムを首都とする方針を堅持。しかし、その結果、パレスチナやイスラム諸国からの反発をさらに強める悪循環に陥っています。 このような錯綜した背景があるなか、トランプ政権が統一エルサレムをイスラエルの首都と認定したことは、イスラエルにとっては朗報でも、それ以外の国にとっては多かれ少なかれ衝撃になりました。今後の展開は予測が困難ですが、今回の決定によって対立がより激しくなるだけでなく、パレスチナが米国を仲介者と認めなくなったことで、対立の収拾がより困難になったことは確かといえるでしょう。
--------------------------------- ■六辻彰二(むつじ・しょうじ) 国際政治学者。博士(国際関係)。アフリカをメインフィールドに、幅広く国際政治を分析。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、東京女子大学などで教鞭をとる。著書に『世界の独裁者』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『対立からわかる! 最新世界情勢』(成美堂出版)。その他、論文多数。Yahoo!ニュース個人オーサー。個人ウェブサイト