プロ野球解説者・江本孟紀「車は男の夢」 憧れの愛車と球界レジェンドとの逸話を明かす
■阪神タイガース 電撃退団時の愛車
続いて、登場した愛車は『BMW 5シリーズ』。デザイン界の巨匠、ポール・ブラックがデザインし、1960年代にBMWが急成長する、きっかけとなった車種『ノイエ・クラッセ』の流れを引き継いで登場しました。1973年に日本で発売された5シリーズには、すでに4灯ヘッドライトを採用した印象的なキドニー・グリルなど、その後のアッパーミドルクラスのセダンを特徴付ける要素が全てそろっていました。 江本さんは、愛車の好きなポイントについて「グリルの角度や、BMWのエンブレムがいいんですよ。当時は僕ら“ベンベ(BMWのドイツ語読み)”と呼んでいた」と振り返りました。 BMWが愛車だった頃、阪神タイガースに在籍していた江本さんは、1981年のシーズン途中で電撃退団。経緯について、江本さんは「あるゲームの後半で、(阪神が)1点リードしているけど、(相手チームの)走者が出ている状況で、交代するのか、続投するのか、勝負するのか、ベンチが采配する場面だったけど指示がこなかった。1球はずして様子を見ようと思ったら、(打者が)飛びついて打って同点にされた。この時だけでなく、元々そういうことがずっと続いていた」と、首脳陣に疑念を持っていたそうです。 さらに、当時話題となった江本さんの発言『ベンチがアホやから野球ができひん』についてもコメント。「僕は結構、マスコミにサービスしていた。試合後、ロッカールームに入るときに、記者に面白いことを言ってあげようと、“ベンチ アホやろ?”とコメントした。そしたら、(マスコミ報道が)大騒ぎとなった。球団に呼ばれ事情を話すと、“10日ほど休んでくれるか?”と言われたので、“10日休んだら、もう投げられまへんで。それなら 辞めましょうか”と答えた。34歳で若くはなかった」と、現役引退の経緯を明かしました。 退団後、江本さんは「給料も辞めたその日で終わりですから、大阪にいてもやることがない。子供は幼稚園くらいだった。人(家族)の迷惑を考えていなかった。BMWに家財道具を乗せて、妻の実家に身を寄せた」と、長年暮らした関西圏を家族で離れたそうです。