プロ野球解説者・江本孟紀「車は男の夢」 憧れの愛車と球界レジェンドとの逸話を明かす
プロ野球解説者の江本孟紀さん(75)が、歴代の愛車と共にこれまでの人生を振り返りました。 江本さんは、東映フライヤーズ、南海ホークス、阪神タイガースのプロ野球3球団で活躍。また、“エモやん節”とも言える歯に衣着せぬ発言でも話題になりました。引退後は、プロ野球解説だけにとどまらず、作家や政治家、タレントなど幅広い分野で活躍しています。
■プロ野球選手になって初の愛車
江本さんの初めての愛車は、1968年に登場した『三菱 ニューコルト1200』。日本の高速道路時代の到来に合わせた動力性能と共に、居住性や安全性に重点を置き開発されました。角型のヘッドランプを備えた立体感あふれるグリル周りや、横長のリアコンビネーションランプを備え、安定感のあるリアビューが特長的でした。 球界のスター・長嶋茂雄さんに憧れていたという江本さんは、1971年、24歳の年にプロ野球・東映フライヤーズに投手として入団。そして、「東映に入団して、すぐ中古で買いました。(車に詳しい)知り合いがいて、どこからか持ってきてくれたんです。(車への)こだわりは全くありませんでした。走ればいい」と振り返りました。 江本さんは、半世紀前の愛車を見て、「いま見ると、ニューコルトいいなあ。ベンチシートがいいんですよ」と、お気に入りのポイントを明かしました。
■プロ野球界レジェンドたちとの思い出
東映フライヤーズの先輩選手・張本勲さんとの思い出について、江本さんは「キャンプが終わった日に、(自分は)若手だから玄関で大ボスの張本さんの見送りをしていたら、大きい車の両側に女の子が乗っていた。それを見て憧れましたもんね。スターになったら、これだよ! と思いました」と、球界でスターになることを夢見たそうです。 また、南海ホークスにトレードされた時のエピソードについて「(南海には)監督で、打順が4番で、キャッチャーの野村克也という大スターがいた。無名だった自分が、トレード1年目で16勝を達成したから、“野村がスゴい”という話になっているんですけど、あれは僕の力がほとんどで」と、笑みを浮かべながら“エモやん節”を披露しました。 実は、その活躍の裏には、野村さんとの思い出があったそうで、「この人は、言葉がうまい。野村さんに“お前の球は 俺が受けたら二桁は勝つよ だからエース番号を付けとけ”と、初日に言われた。感動して震えがきました。それだけで16勝した。野村さんが出すサインに首を振ったことはなかった。言うとおりに投げた」と、野村さんをたたえました。