まさかの結末……失格によりF1での勝利を逃した、過去5人のドライバーたち。ラッセルは通算6人目
ネルソン・ピケ(ブラバム):1982年ブラジルGP
繰上げ優勝:アラン・プロスト(ルノー) 灼熱のコンディションに見舞われた1982年のブラジルGP。熱中症でリタイアするドライバーも出るなど、実に過酷なレースとなった。 ピケも体調不良に見舞われたが、なんとか走りきり、トップチェッカーを受けた。 しかしレース後、ピケのマシンは重量不足であると見なされて失格となった。この原因は、ブレーキを冷却するための水タンクにあった。このタンクは、レース中に容量が減っていくが、レース後の車検に合格するため補充されていたことが発覚。これにより失格となったわけだ。2番手でフィニッシュしたケケ・ロズベルグも同じ理由で失格し、プロストが繰り上がりで勝利を手にした。 この水タンクは後に完全に禁止されることになった。
アラン・プロスト(マクラーレン):1985年サンマリノGP
繰上げ優勝:エリオ・デ・アンジェリス(ロータス) 1985年のサンマリノGPは、最終ラップで燃料切れを起こすマシンが続出する、過酷なレースとなった。 プロストはトップチェッカーを受けたが、ウイニングランの途中で燃料切れ。レース後に計量されたプロストのマシンは、当時の最低重量である580kgを2kg下回っていたことが発覚し、失格となった。 当時のエンジニアであるティム・ラントはこの原因について、マクラーレンMP4/2Bは可能な限り軽量になるよう設計されていたが、「液体を失う」ことを考慮していなかったと語った。 プロストの失格により、デ・アンジェリスが優勝。彼はレース中に一度もリードラップを計測しないまま勝利を手にするという、珍記録となった。
アイルトン・セナ(マクラーレン):1989年日本GP
繰上げ優勝:アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン) 前年から続いたマクラーレン内のチーム内バトル。セナとプロストが、激しくタイトルを争い続けた。そして1989年の日本GP……おそらく、F1史上最も物議を醸した失格劇だったといえよう。 このレースでもセナとプロストが優勝を争ったが、鈴鹿サーキットのシケインで両者が接触。絡み合うようにして止まった。プロストはこの場でマシンを降りたが、セナはマーシャルに手助けを受けてエンジンを再始動させ、シケインをショートカットしてレースに戻った。 翌周ピットインして、痛めたフロントウイングを交換。他車を圧倒するペースで走り、トップチェッカーを受けた。 しかしレース後、セナが外部からの援助を受けてレースに復帰したこと、シケイン不通過だったことなどを理由に失格となり、ナニーニが優勝となった。 セナはこの失格について、当時のF1統括団体であるFISA会長のジャン-マリー・バレストルが、同郷のプロストをチャンピオンに輝かせるために失格にしたと考え、不満を露わにしていた。またマクラーレンも、この結果に抗議することになったが、判定が覆ることはなかった。