夫に「毒」、そして「拘束」…ロシア政府の圧力を受けながらも勇敢に反体制活動を続ける、ナワリヌイ氏の妻とその強靭な「覚悟」
文字も読めないほど衰弱
度重なるクレムリンの圧力と妨害で、ナワリヌイはやがて反政府活動の主戦場をインターネット上に移す。プーチンはPCが使えず、「インターネットはCIAの陰謀」と決めつけていたため、その隙をついたのだ。不正を暴く動画は、やがて100万人が視聴する人気コンテンツとなり、自由を求める叫びが市民に広がっていく。 ユリアは初期から「政治家の妻になる覚悟ができていた」と語るように、銀行は早々に辞め、夫のサポートに回った。流暢な英語で外国メディアとの調整をするなど、「君とチェスをすると負けるから嫌だ」とナワリヌイが言うほど頭の切れる女性だ。毒殺未遂の際も、夫の搬送されたロシア・オムスクの病院に執拗に面会をかけあった。 2日後、彼女の訴えが国際社会の注目を集め、無視できなくなった政府は、やっと面会を許可する。その後ナワリヌイはベルリンの病院で治療を受けられることになったが、オムスクに留まっていたら、再び毒を盛られていたか、適切な治療を受けられずに亡くなっていた可能性は高い。 神経剤ノビチョクで認知機能が著しく低下したナワリヌイは、意識が戻ったのちも、ユリアが誰なのかわからなかった。病室に「ある女性」が現れ、朗らかに、時には笑い声をあげて身の回りの世話をしているのを、好ましいと思いながら眺めていた。 ユリアは夫の前で涙を見せたり、嘆き悲しんだりすることなく、ホワイトボードにハートマークを描いて帰って行く。ナワリヌイは文字も読めなくなっていたが、ハートだけは認識でき、ホワイトボードのハートを数えるようになった。 認知機能が戻り、杖をつきながら歩けるまでに回復したナワリヌイは、「ロシアでクリスマスを迎えたい。すぐにでも帰国したい」と願ったが、ユリアはやんわり諭す。「連中はまた毒を盛るかもしれない。万全の体調で戻ったら、仮にそうなっても生き残れるチャンスが少しはあるでしょ」と言って、帰国を1月17日まで延期させた。 ユリアが引き延ばした4カ月間が夫婦にとって、自由の身で過ごせる最後の時間となった。帰国後、アレクセイは入国審査のカウンターで身柄を拘束され、二度と解放されることはなかった。 アレクセイの収容先は、拘置刑務所、矯正労働収容所、と変わっていく。それぞれの施設によって、家族との面会や小包を受け取ることができる頻度は異なる。また、同じ施設でも懲罰棟に入れられた場合にはそのルールが変わる。 ユリアは新鮮なトマトやキュウリ、オリーブオイルなどを箱一杯に詰めて送り、検閲で夫の手元に届かないとわかっていても手紙を書き続けた。数ヵ月ぶりの面会に備えて準備をしていたのに、「懲罰棟に入っているから面会はなくなった」と告げられたこともある。
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