続・面倒でも撮りたい「城址遠望写真」のすすめ…「占地」の特徴を踏まえれば、縄張も歴史的位置付けも理解できる
(歴史ライター:西股 総生) ●城址遠望写真のすすめ(前編) ■ 城の周辺を歩き回ってこそ見えるもの 【写真】武田勝頼と徳川家康が争奪戦を繰りひろげたことで有名な高天神城(静岡県掛川市)の遠景 (前編から)わざわざ城の周囲をウロウロしなくても、城へ向かう途中に手頃な場所があれば、遠望写真を撮る人は多いだろう。けれどもその1枚は、はたして城の占地上の特色を、うまく表現できているだろうか。 写真7は横浜市港北区にある小机城で、JR横浜線の小机駅から城へ向かう途中の道ばたから撮ったもの。画面手前に広がる水たまりは休耕田(少し前まで実際に耕作されていたと記憶している)で、左端に用水路が見える。この構図だと、画面左の電線が少々目障りなのだが、どうしても用水路を入れたかったので、電線も我慢した。 小机城は、もともと湿地や水田が広がる鶴見川南岸の低地に向かって、半島のように突き出した丘陵の先端に築かれていた。こうした占地の特徴を表現したいので、休耕田と用水路を手前に入れてフレーミングしたわけである。 占地の特徴を表すワンカットを撮るためには、城を歩く自分自身が、まずその城の占地を理解していなくてはならない。ゆえに、城址遠望を撮る手間は、城への理解を深めることにつながるのだ。 写真8は、都幾川の対岸から撮った菅谷城(埼玉県嵐山町)。菅谷城は東武東上線の武蔵嵐山駅から歩いて15分くらいの場所にあるし、城跡には駐車場も完備されているから、たいがいの人は電車か自家用車で城を訪れて、一回りすると帰ってしまう。 筆者のように、遠望写真1枚を撮るために、わざわざ徒歩で橋を渡って都幾川の対岸をウロウロする人は、あまりいないだろう。何といっても、周辺には杉山城・小倉城・腰越城といった優品のような城がひしめいており、うまく回れば何城も制覇するというおいしい一日を過ごすことができるのだ。タイパ重視に気持ちが傾くのも、致し方ない。 けれども、菅谷城の存在価値は、都幾川の渡河点に面しているという占地にこそ、求められる。この占地の特徴を踏まえないと、城の縄張も歴史的位置付けも理解できない。それゆえに筆者は、対岸から城を眺めてみたかったし、写真も撮りたかった。 写真9の箕田城(埼玉県鴻巣市)は、現地を歩くとほとんど平城のように感じられる。写真9も、平地の中にあるこんもりした樹林というイメージに写っていて、画面手前の原っぱはもとは休耕田だ。しかし、この城は実際には荒川東岸の低地に臨む台地(正確には自然堤防)の縁に築かれている。 写真10は、荒川の堤防の上から撮ったもので、画面手前の荒れ地がかつての水田であることは、見てとれると思う。城の手前に通っている道路が、住宅地と休耕田跡を分けているのがわかるだろうか。城も住宅地も台地の上に乗っているから、こうした景観になる。箕田城の占地は、写真9では平地にしか表現できないが、少し離れた場所から撮った写真10では、台地の縁にあることを説明できるのである。 最後に近世城郭の例になるが、写真11は膳所城(滋賀県大津市)である。琵琶湖に面して築かれた膳所城は、近代以降に石垣・堀などの遺構がすべて失われてしまい、いま城跡を訪ねても、石碑くらいしか撮るものがない。 けれども、湖岸を少々散策してみれば、写真11のようなアングルを見つけることができる。これなら、かつての「浮城」の面影を偲ぶこともできよう。 こうしたアングルを求めて歩き回る時間は、何だか城と戯れているみたいで、筆者は楽しい。1枚の城址遠望写真を撮るために、城の周辺を余計に歩き回る行為を、タイパの悪い無駄な手間と考えるか、城をより深く知るための楽しい時間と考えるか。それは、城を訪ねるあなた次第である。
西股 総生