阪神移籍で感じた戸惑い メディアに苛立ち、溜まる“ストレス”「なんだこりゃ」
甲子園は「声援もすごいけど、打たれた時のため息もすごい」
それでも引きずらずに立て直すのが星野氏の持ち味でもある。中6日で先発した4月7日の広島戦(広島)は、8回2/3を3失点で敗戦投手。広島・佐々岡真司投手と投げ合い、2-2の9回にサヨナラ負けで力尽きたが、粘り強い投球は見せた。続く4月14日の中日戦(甲子園)は1失点完投で移籍後初勝利をマーク。さらに4月23日のヤクルト戦(甲子園)では4安打完封、初回の1点を守り切って2勝目を挙げた。 その上で星野氏はこう話す。「1-0の時はプレッシャーがかかりましたねぇ、“あと1球コール”で……。最後のバッターが(ロベルト・)ペタジーニ(内野手)であと1球となって……。完封できてよかったんですけど、あそこでホームランを打たれたらどうなったんだろうって思いましたよ。(甲子園は)声援もすごいけど、打たれた時のため息もすごいんでね。あれはあれでプレッシャー。タイガースのピッチャーはそこら辺も難しいですよね」。 やはり、すべてがオリックスと同じというわけにはいかなかった。DH制のパ・リーグと違って、セ・リーグは投手も打席に入る。「それまでは(自軍の攻撃の間に)次のバッターのことを考えればよかったけど、打席に立つ手前になると手袋はせなあかんわ、ヘルメットは用意しとかなあかんわ、置き場所を忘れていたら探さないといかんし結構面倒くさいことが多いんですよね。キャッチボールも打席が回る前はできないし、ルーティンもおかしくなるし……」。 代打を出されて交代のケースもある。星野氏は「立ち上がりが悪い僕にはよくなかったですね、ホントに。早めに代打を出されたこともありましたしね」と笑いながら話したが、実際、好投しても勝ち星につながらないこともあれば、序盤に打たれて調子を取り戻す前に降板もあった。2000年の阪神はチーム打率が.244でリーグ最下位と援護も少なかった。いろんな悪循環があったことだろう。 「当時のセ・リーグは広島に金本(知憲外野手)がいたり、いい左バッターが多かったですね。僕は左打者の方が嫌だったんですよ。パ・リーグの時はけっこう右ばかり並んでいて、その方が投げやすかった。左には結構打たれているんです。僕は右バッターの外のベースのラインを目標に投げるんですけど、左はどうしてもそこにバッターが先に見えちゃうんで、ホント微妙なタイミングなんですけどね」 2000年の星野氏は21登板で5勝10敗、防御率4.04の不完全燃焼に終わった。阪神に移籍して、これまでとは何か勝手が違った。精神的にも肉体的にも何かしらがおかしくなり始めていた。
山口真司 / Shinji Yamaguchi