【プレイバック’94】声をかけられたらホテル直行 学校休んで「売春」の〝立ちんぼ女子高生〟の実態
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の’94年4月22 日号掲載の「バイト感覚で声かけて〝立ちんぼ〟女子高生4人が告白する『学校休んで売春』」をお届けする。 【こんなコたちが…】すごい…「声をかけられたらホテルへ直行」する〝立ちんぼ女子高生〟 現在では新宿・大久保公園などの〝立ちんぼ〟の存在がメディアなどで繰り返し取り上げられており、その中には「18歳未満では?」と思われる女性の姿も決して珍しくはない。だが、この記事で触れている〝立ちんぼ女子高生〟たちは少しタイプが違うようだ。(以下《 》内の記述は過去記事より引用) ◆「『おこづかいをあげるから遊ばない?』って声がかかるの」 《後ろ姿しか紹介できないが、東京・中野駅前にたむろする4人の女のコは全員が17歳、女子高生だ。 リーダー格のA子は都立高2年で、田中美奈子をちょっとキツくした感じの女のコ。B子、C子も都立高2年でB子は森高千里似のおとなしいコ、C子は中井美穂をちょっとケバくした感じだ。D子だけが私立女子高2年で、デビュー当時の浅田美代子のような雰囲気だ。 全員が白昼堂々、タバコをスパスパやるところを除けば、服装はフツーの女子高生の私服姿だし、どちらかというと地味め。化粧だって薄い。》 そんな彼女たちは〝セクリ〟仲間なのだという。〝セクリ〟とは彼女たちの間での隠語で、ズバリ売春を指すらしい。テレクラや伝言ダイヤルを使って売春をする女子高生たちがいることは当時すでにいろいろなメディアが報じていたが、彼女たちのスタイルは少し独特なようだ。A子は語る。 《セクリするのは池袋のサンシャイン通りや歌舞伎町のコマ劇場(現・新宿東宝ビル、編集部注)近く。ナンパに行って若い男のコに声をかけられれば、そのまま、ナンパされることもあるけど、立ってると『おこづかいをあげるから遊ばない?』って声がかかるの。そういう時は『3万円欲しい』と言って、そのままホテルに行っちゃう》 他の3人もパターンは一緒。〝セクリ〟歴は、最も長いC子が1年ちょっとで、あとの3人は数ヵ月ほどとのこと。活動は週1回ペースで、街角に立つのが面倒なときはテレクラで〝商談〟するようだ。 《〝セクリ〟の日は学校を休んで、友達の家か、自分の家でテレクラに電話するの。 いつも、かけるのは中野・渋谷・目黒・ 荻窪かな。話が決まると、中野駅前か、新大久保の改札で待ち合わせして、ラブホテルへ直行。3時から〝セクリ〟することも もあるよ。学校に行った日でも、夕方5時から始めて、夜9時までには〝仕事〟を終えちゃう》(B子) バイト感覚なのか、罪悪感はまったく感じられない。4人とも両親が40代で共稼ぎ。「〝セクリ〟のお金は、貯金してる」(C子)という例もあるが、たいていは「カラオケボックスと買い物でなくなる」(D子)らしい。 お客は主に20代後半から30代後半のサラリーマンだそうで、怖い目にあったことはないという。彼女らの発言からは、女子高生ブーム真っ只中のせいか、かなり〝売り手〟優位な状況がうかがえる。 《体位は正常位。長い人はイヤだから『痛い』とか『疲れた』 というと止めてくれる。でも、みんな30 分ぐらいで終わっちゃう。コンドームは 絶対につけてもらうわ》(A子) 《30すぎで、手でシコってあげたらイッちゃった。それで2万円くれた。ラッキーだった》(C子) 《キスして、私のアソコをなめただけでイッちゃった。2万5千円もらった》(B子) 言いたい放題、やりたい放題の女子高生たちに、当時の本誌も記事の最後で次のように嘆いていたのだった。 《女子高生のほとんどが売春してる、と思ってはイケナイのだろうが、これでまた、オジさんたちは〝女子高生不信〟になるのである。》 この当時は〝立ちんぼ〟といえば、都内ではほとんどが東南アジアや南米系の外国人で、活動するのは夜遅く。出没する場所もラブホテル街など人気の少ない場所だった。つまり、この記事に登場する女子高生たちがやっていることは売春には違いないが、女子高生ブームに乗ってやっているだけで〝本職〟とは似て非なるものだったとも言える。 さらに、彼女たちの〝立ちんぼ〟が成り立つためには、それと察して値段交渉をしてくる大人たちの存在が不可欠だ。この当時、東京都内では18歳未満の青少年への「買春」を取り締まる条例が無かったことも背景にあるのだろう。 ここで女子高生たちがやっている「セクリ」は、やがて「援助交際」という分かりやすい言葉に変換されて、’90年代後半にかけてさらにひろがっていくこととなる。
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