男社会と裏社会の荒波に揉まれた力道山未亡人の半生、借金30億円を抱え悪戦苦闘
戦後のプロレスは一種の“国策”として機能
戦後のプロレスは一種の“国策”として機能してきた。3S政策(スポーツ、スクリーン、セックスを用いて大衆の関心を政治から逸らせる愚民政策)の代表例であり、反共・親米路線のシンボルが力道山だったのだ。しかし、よく知られるように力道山自身は北朝鮮の出身。きょうだいや子供も故郷に残している。大いなる矛盾を抱えたまま、空手チョップを振り下ろしていたことになる。 「差別が力道山の原動力だったことは疑う余地もありません。相撲部屋時代も悔しい思いを相当したはずです。しかも、当時の韓国は李承晩政権下。李承晩ラインが竹島問題に繋がっているように、反日路線を強く打ち出していたわけです。その延長線上で在日コリアンは韓国の人たちからも冷たい扱いを受けていた。それこそ彼らには居場所がなかったんですよ。“北朝鮮は地上の楽園”なんて新聞や赤十字も煽っていたけど、あながちそこに騙されただけでもなくて、韓国政府の反日政策及び在日コリアンに対する冷淡な態度も背景として無視できないと思います」 プロレスファンとして看過できないのは、力道山のアントニオ猪木への寵愛が同書の中で強調されている点だろう。これまでの通史では「エリートのジャイアント馬場は力道山に可愛がられ、ブラジル農園からやってきた猪木は虐げられた」という見方が定着していた。しかし敬子さんというフィルターを通して振り返ると、のちの「馬場=全日本プロレス=日本テレビ=百田家の正統後継者」「猪木=新日本プロレス=テレビ朝日=日プロの反逆分子」という見方も根本から崩れることになる。 「ボタンの掛け違いで逆になっていた可能性は大いにあります。若手時代の猪木が、実は馬場を除く若手の中で出世頭だったことは、関係者の証言や当時の資料、試合結果などからも明らか。日本プロレスから猪木が脱退して、その後、テレビが付かない状況で新日本プロレスが旗揚げされたでしょう。そのとき日テレ内部で“本当は寛ちゃん(猪木)とやりたい”という声は根強かった。 でも、当時の日本テレビ社長・小林與三次が『馬場を柱にする』と決めたから全日本プロレスが放送されることになった。そのとき、馬場が頼ったのが、敬子さんでした。『力道山の後継者』というお墨付きが欲しかったからです。猪木さんの方が先に敬子さんに頼っていたらどうなっていたか……。その意味において、彼女は日本のプロレス史においても非常に重要なキーパーソン。彼女自身は『力道山未亡人』という肩書があるだけなのに、テレビからもレスラーからもあれこれ要求される。おそらく、それほど、いい記憶になっていないはずです」 様々な角度からディープに切り込んでいる本作だが、著者の細田昌志氏は「プロレスとか格闘技とかに興味がない方にも読んでいただければ」と語る。 「ちょうど朝ドラの『虎に翼』(NHK総合)が話題になっていますけど、“昭和の時代に、ここまで苦労した女性がいたのか!”という驚きが敬子さんには確実にある。それは当時をリアルタイムで知らない世代にも響くはずですから。時代のうねりの中、男社会である興業の荒波に揉まれながらもタフに進んできた女の一生。彼女の生き様は、多くの人に勇気や活力を与えるんじゃないかと思っています」 【前編】力道山の妻、結婚わずか半年で夫の死…語られてこなかった壮絶な“その後の人生”は下の関連記事からご覧ください。
小野田 衛