男社会と裏社会の荒波に揉まれた力道山未亡人の半生、借金30億円を抱え悪戦苦闘
暴力団組員に刺された力道山が命を落としたのは1963年のこと。しかし当時22歳に過ぎなかった夫人の“その後の人生”については、これまでほとんど語られてこなかった。結婚後わずか半年で夫に先立たれたのみならず、5つの会社の社長に就任し、30億円もの借金を背負い、4人の子の母親になった、その人物の名は田中敬子(83)。 【写真】婚約会見での力道山と敬子さん、ほか書籍『力道山未亡人』収録の秘蔵写真【9点】 5月31日に発売された『力道山未亡人』(著・細田昌志/小学館)では、プロレス興行という特殊な環境の中、男社会と裏社会の洗礼を浴びつつも昭和・平成・令和と生き抜いた1人の女性の数奇な半生が描かれている。著者の細田氏を直撃し、未亡人・敬子さんの素顔や執筆の舞台裏について伺った(前後編の後編)。 運命に翻弄された田中敬子さんの半生を追っていると、いくつかの疑問点が浮かび上がってくる。最大の謎は「なぜ会社経営を引き継いだのか?」という点だ。力道山はレスラーとして活躍するかたわら積極的に事業拡大へと乗り出していたが、経営状況は総じて芳しくなかった。いくら故人の妻であったとはいえ、事業を引き継がなければ借金苦に喘ぐ必要もなかったはずである。 「敬子さん自身は“社長業なんていっても、実際は何もしていないのよ。家で子守りしていただけ”とか言うわけですよ。でも、そんなわけないじゃないですか。実際、当時の『婦人公論』(中央公論社)とかを読むと、“目まぐるしくて死にそうな毎日です”とか手記で書いている。かつての友人や元日本プロレスのグレート小鹿さんも“ちゃんと出社していたよ”と証言してくれました。 結局、社長業を引き受けたはいいけど、彼女にとっては初めての挫折だったと思うんです。負けず嫌いな性格だし、実際めちゃくちゃ勉強したと思いますよ。悪戦苦闘したんだと思う。そういった記憶を消したい感情があるから、はぐらかしているような気がしないでもないです。人間、過去を封印しないと前に進めないこともありますから」 では、JAL時代の同僚だった故・安部譲二氏が訝しがった「なぜ再婚しないのか?」という点についてはどうか? 「やっぱり一番大きいのは借金の額だと思います。30億円の借金と聞けば、普通の男は怖気づくでしょう。本人は“再婚なんて考えなかった”と軽く言っていましたけど、僕はちょっとそれは信じがたい。実際、ボーイフレンドはいたということだし、マスコミに再婚すると報じられたこともあったものの、ひょっとしたら“再婚なんてはしたない”といった美徳が本人にあったのかもしれない」 それにしても『力道山未亡人』を読んで驚かされるのは、登場人物が非常に多岐に渡っていることだ。自民党議員に混じって右翼の大物・児玉誉士夫や山口組三代目組長・田岡一雄などの実名が飛び交いながら昭和の裏面史に迫る構成は、試合の描写を中心とした通常のスポーツ・ノンフィクションとは意を異にする。 「興行という特殊な世界に普通の女性が飛び込んだらどうなるか? それを敬子さんの目を通じて描きたかったんです。意外と知られていないのは、敬子さんを守ったのは裏社会の大物だったということ。今までプロレス文脈の中では敬子さんが食い物にされたようにいわれてきたけど、実際は逆なんですよ。大野伴睦に助けられたのは事実だし、興行のことに関しては児玉誉士夫や田岡一雄からもレクを受けた。いわば大学教授から直接教わっているようなものですから。昭和のプロレスを振り返る本はいくらでもありますけど、こういった面に踏み込んでいないことに歯がゆさを感じていました」