母乳からのHIVで子どもを亡くす瞬間に無力感も…FNSチャリティキャンペーン50年、佐々木恭子&倉田大誠アナが語る「伝える」意義
それでも、倉田アナは「やっぱり現地での生活に慣れることも必要になります」といい、佐々木アナは「シャワーの水に住血吸虫が湧いてくるから最小の時間で浴びてくれと言われましたし、水も透明じゃないけれど、現地の人がその環境で暮らしているのだから、自分が通用するのに時間はかかるかもしれないけれど、大丈夫」という発想になったという。 その結果、「私がFNSチャリティキャンペーンの取材に行って良かったと思っていることの1つは、自分のキャパシティが広がる感じがあったことです。交通もご飯も、思った通りにはいかないことが多いですが、究極を言うと“それでも生きていられる”と感じるようになりました」(佐々木アナ)と、自身の中で変化が生まれたそうだ。
“命は平等”なんて言葉はウソだと
これまでの中で、それぞれに特に印象に残った取材を聞くと、佐々木アナが挙げるのはHIV/エイズで両親を亡くし、2人の妹たちを育てるマラウイの16歳の少女。 「当時30代前半で、自分のことばかり考えていた私は、その少女に“学校にも行けず、妹たちの世話をしなければならないことについて、どう考えていますか?”と聞いたんです。すると、“私は生きられている。この子たちを育てるのが私の仕事なんです”と答えてくれて、この年にして誰かのために生きることを選ばざるを得ない人がいる、でもそれを幸せだと語ってくれるということに本当に頭が下がる思いで、もっと支援があればと強く思わされました」 また、HIVに感染して孤絶されたパプアニューギニアの少年の姿も忘れられない。 「ご飯を食べさせてもらえず、会話もしてもらえず、屋根も壁もない吹きさらしの掘っ立て小屋で毛布をかけられているだけで、もう死を待つだけの状態だったんです。両親は亡くなっているのですが、お姉ちゃんは元気なので、親戚の家で大事に育てられ、学校に行っている。その時に、“命は平等”なんて言葉はウソだと思ってしまいました。彼らにとって将来稼ぎ手になってくれる未来はそっちにしかないわけなので、過度な貧困の状況では、とても責められないんです」 この経験は、その後のアナウンサー人生に大きく影響した。 「どんな環境でも生きようとしている人たちを見てきて、“自分には何もできない”と思わないようになったと思います。1歳6カ月の赤ちゃんに自分の母乳を通してHIVをうつしてしまったお母さんが、そのお子さんを亡くすという瞬間を見て、自分の無力感を感じたんです。でも、ユニセフのスタッフの方に言われたのは、“佐々木さんが自分は無力だと思わないでほしい。この事実を伝えてくれる人がいないと、この出来事はないことと同じになってしまう。ここで見たことをぜひ伝えてください”ということ。ここから、伝えること、人の話を聞くという行為とは何なのかを突き詰めて考えるようになり、アナウンサーとしての自分の基礎になったと思います」