【注目ドライバー】ハースでは円熟の走りを披露…一発の速さも健在、36歳ニコ・ヒュルケンベルグ|ハース|F1
再びシートを得て、安定したパフォーマンスを発揮
2011年はフォース・インディアのリザーブドライバーとして、いくつかのレースの金曜フリー走行1回目に出走して経験を積んだヒュルケンベルグは、翌年にはレギュラーシートを再び獲得。全20戦中11戦で入賞するなど安定したパフォーマンスでチームをけん引すると、第12戦ベルギーGPではキャリアハイとなる4位入賞を果たし、表彰台目前まで迫った。その走りが評価されて、2013年はザウバーに移籍した。 2012年のザウバーは小林可夢偉らを擁して4度の表彰台フィニッシュを記録するなど上り調子だったものの、翌年は一転して競争力が劣るマシンを操り、ヒュルケンベルグが孤軍奮闘。シーズン途中の開発が功を奏して後半戦には少し巻き返したが、チームの財政難も重なって、シーズン後に移籍を発表。フェラーリへの移籍も噂されたが古巣のフォース・インディアへと復帰した。 フォース・インディアでの2度目のシーズンとなった2014年。好調なマシンとパワフルなメルセデスのエンジンを手にしたヒュルケンベルグは、開幕から10戦連続入賞とスタートダッシュを決めて、キャリア最多の96ポイントを獲得するなど、ドライバーとしての評価を上げていく。 さらに、2015年には活動の幅を広げて、F1と並行してポルシェチームからFIA世界耐久選手権に参戦。世界三大レースの1つとして名高いル・マン24時間レースでは、ポルシェに17年ぶりの総合優勝をもたらし、栄光のトロフィーを手に入れた。
超人スーパーサブ「ハルク」
2016年にも第13戦ベルギーGPで4位入賞し、誰もがその速さを認める実力者としてF1でのキャリアを築いたヒュルケンベルグは、2017年にルノーへの移籍を発表。エースドライバーとしてチームをけん引し、中堅チームのなかで結果を残し、2018年には自身最高位のドライバーズランキング7位と記録。2019年まで在籍した。 2020年は所属チームなしの状態で、F1復帰を目指すための活動を続けていた中、第4戦イギリスGP直前の木曜日にレーシング・ポイントのセルジオ・ペレスが新型コロナウイルスの陽性反応が出たことで、急遽ヒュルケンベルグに白羽の矢が立つ。元々、代役ドライバーとしてリストアップされていなかったものの、スーパーライセンスの条件や移動のスケジュール、さらにレーシング・ポイントの前身であるフォース・インディアに所属歴がありチームクルーとすでに関係があることから、候補として急浮上し、金曜日の朝に代役としての出走が発表された。 この緊急参戦は、決勝前にマシントラブルが発生し、1周もできずにレース終了という残念な結末となった。しかし翌週の第5戦F1 70周年GPにも出走したヒュルケンベルグは、予選で3番手タイムをマーク。決勝は7位フィニッシュとなったものの、世界中のF1ファンが「代役出走でのキャリア初表彰台」という夢物語を想像せずにはいられない展開だった。 さらに第11戦アイフェルGPでは、ペレスのチームメイトのランス・ストロールが体調不良のため土曜日に欠場を発表。再び代役と務めたのは、ドイツの放送局の解説者としてサーキットを訪れていたヒュルケンベルグだった。わずか15分の調整時間で挑んだ予選は最下位に終わったものの、決勝ではライバルのリタイアもあり、なんと8位入賞。母国でのレースでドライバー・オブ・ザ・デーに選ばれる超人的な活躍を見せた。 2021年からは、レーシング・ポイントから名称変更したアストンマーティンでリザーブドライバーに就任。2022年の開幕戦バーレーンGPと第2戦サウジアラビアGPでは、新型コロナウイルスに感染したセバスチャン・ベッテルの代役として出走し、ここでもチームメイトのストロールを上回る力走を披露した。