「やぶれかぶれ」男性と「ちんまり」女性…60代が抱える欲望の「決定的な男女差」
老人社会ではまだまだ初心者の60代。彼らに向けて多くの「老い本」が刊行されていますが、男性と女性の欲望には大きな差異があるといいます。 【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる老い本を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書より抜粋・編集したものです。】
60代ならではの繊細なハート
定年本が、老いの世界へと飛び立つ前の滑走路のような役割を果たすとしたら、いよいよ離陸となった時に読むのが、「60代本」である。 日本の医療制度においては、65歳から74歳までが前期高齢者、75歳以上が後期高齢者ということになっている。60代は、高齢者の入り口となる年頃なのだ。 平均寿命が延びた今となっては、もう60代を高齢者とするのは、時代に合っていない気もする。70代になっても、高齢者感が漂う人は少数派。70代が前期高齢者、80代が中期高齢者、そして90代以降を後期高齢者とするのが、実際の感覚に合った呼び方ではないか。 とはいえ60代ともなれば、妙に朝早く目が覚めてしまったり、つまずいて骨折する人が身近に増えてきたりするのは、事実。自らの背後にも「老」の一文字がぴったりと張り付いていることを意識する機会が増えてくる。 ついこの前までは、「おじさん」「おばさん」と呼ばれることにショックを覚えていたはずなのに、「おじさん」「おばさん」と呼ばれることが僥倖(ぎょうこう)と感じられるようになってくるのが、60代。孫を持つようになる年頃でもあり、家族内の立場としては確かに「おじいさん」「おばあさん」にはなってくる。しかし家族の中ではそうであっても、社会の中ではまだ「おじいさん」「おばあさん」ではないだろうという意識を、昨今の60代は持っているのだ。 60代は、いわば老人社会におけるフレッシュマンである。人生をざっくりと分けるならば、子供時代→若者時代→大人時代→老人時代、となろうが、老人時代のとば口に立った60代は、今まで身を置いていた大人時代の記憶をたっぷりと持っているので、高齢者として区分されることに、激しい違和感を覚える。映画館などでシニア料金を適用されては嬉しいような悲しいような気持ちになり、電車の中で席を譲られてはショックを受ける60代は、新入生や新入社員と同様、フレッシュマンとして繊細なハートを抱えている。 世に60代向けの老い本が多いのは、人生のステージも、そして心身も激しく変化する年代だからなのだろう。老人界に不慣れなニューカマーに対して、健康、投資、料理から家の片付けまで、様々な『60歳からの○○』について指南する本が、数多く存在している。 60代へ、心の持ち方をアドバイスする本も多い。その手の本から見えてくるのは、男性と女性とでは、老年時代への向き合い方に、はっきりした違いが存在するという事実である。