日本男子バレーはなぜリオ五輪出場権を逃したのか
確かにイランの選手は後半に息が上がり膝に手をつくシーンもあった。スタミナでは日本が上回っていたはずだが、メンタルのスタミナに欠けていたのか。日本は、相手のブロックを利用しながらリバウンドを取り粘り強く拾い、ラリーを重ねてチャンスを待つという我慢のバレーができなかった。 「例えば、豪州戦で米山は一発で強引に決めようとせずに相手の嫌な場所に冷静にボールを入れながらリズムを作った。ラリーを重ね、相手がブロックに跳ばなくなってくるところを見定めてから勝負していた。もっとこういうプレーを繰り返せば、相手もブロックが嫌になって手の出し方も甘くなったりするものなのだ。そこまで持っていく、粘りと我慢、落ち着きがチームに足りなかった」
“ネクスト4”の柳田がイラン戦で膝を痛め、豪州戦ではエースの石川が右足首を痛めた。石川はストレート負けを喫すれば、リオ五輪出場が消滅する、その大事な試合で、わずか6得点。明らかに戦力ダウンしていたが、山本氏は、2人の故障が直接な敗因ではなく、しかも故障の予測ができたという。 「柳田、石川の故障は、そう関係ない。OQTは、五輪よりも戦いにくい別ものの大会。彼らは経験がない中でプレッシャーを感じて、しかも連戦で、いつも以上に疲労が生まれる。その中でコンディションをキープすることは難しく故障発生の危険性があった。予防、対策もできたはず」 また山本氏の目には「ワールドカップの成功で過信が生まれたように」映ったという。 「せっかくワールドカップで作りあげていたチームプレーの組織が、OQTに備えて再集合したときにはバラバラで、ゼロの状態に戻っていたとも聞く。組織をもう一度再構築するのに時間がなかったことに加えて、ワールドカップである程度の結果が出たので、OQTを経験していないメンバーが、“これでいいんだな“と、自信が過信になり、隙が生まれていたのではないか」 今大会での敗因をもっと遡れば、ロンドン五輪の出場権を逃した後、公募で監督を募り、ゲーリー・サトウ氏に指揮を任せた“空白の2年”にも行き着く。南部監督がチームを率いて“ネクスト4”と呼ばれた石川、柳田、山内らの若手を抜擢したが、リオ五輪に向けてのチーム作りの過程が遠回りしたことは間違いない。 山本氏も「途中で監督が交代した弊害はあったと思う」と言う。そう考えると、リオ五輪出場権を逃した原因は、今大会のコート内だけにあったわけではない。そのあたりの総括を協会が真摯に行わなければ、開催地特権で出場できる4年後の東京五輪でも悲劇が繰り返されることになるだろう。 《山本隆弘》 1978年、鳥取生まれの37歳。鳥取商から日体大を経てVプレミアリーグのパナソニック・パンサーズでプレー。全日本のサウスポーエースとして、2003年のワールドカップでは、ベストスコアラーとMVPを獲得するなど活躍。2008年には北京五輪に出場した。2012-13年をもって引退。現在はバレーボールの解説や普及活動だけでなく、幅広くスポーツやメディアの現場で活躍、鳥取市の「シティセールススペシャルサポーター」としても活動している。