なぜデヴィッド・ボウイの死後にドイツ政府からのメッセージが届いたのか…ベルリンの壁を崩壊へ導いたロックスターの歌声
デヴィッド・ボウイが西と東を一つにした瞬間
この年、ソ連の書記長となったゴルバチョフが「改革」を意味するペレストロイカを提唱すると、その影響は東ヨーロッパの共産主義諸国にも広まり、共産主義からの脱却を求める声は勢いを増していく。 歴史が大きく動こうとしていた1987年6月6日、デヴィッド・ボウイはベルリンの壁を背にコンサートを催す。 会場となった西ベルリンのプラッツ・デア・レプブリックには大勢のファンが集まったが、観客はそれだけではなかった。壁を挟んだ東ベルリン側にも数千人の人たちが集まっていたのだ。 スピーカのいくつかは東側に向けられ、コンサートが始まると、壁の向こう側から盛大な歓声、そして歌声が聞こえてきた。 その姿を見ることはできなかったが、人々の“存在”はボウイの心を大きく揺さぶったという。 それは壁で隔てられた西と東が、デヴィッド・ボウイの音楽を通じて一つになった瞬間だった。 1日だけなら僕らはヒーローになれると歌われる『ヒーローズ』を演奏したとき、それはまるで賛美歌のように聞こえ、ボウイは祈祷師になった感覚に包まれた。 また、この日のコンサートは、自身のキャリア史上最高に感動的なステージの一つになった。 そして、自由と壁の崩壊を求める東ドイツ国民の想いが実を結んだのは、1989年11月9日のことだ。ベルリンの壁は崩壊したその日、人々は「ヒーローズ」になった。 文/TAP the POP サムネイル/Shutterstock 参考文献 『デヴィッド・ボウイ』ジェリー・ホプキンス著 きむらみか訳(音楽之友社) 『デヴィッド・ボウイ 神話の裏側』ピーター&レニ・ギルマン著 野間けい子訳(CBSソニー出版)
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