ひとりぼっちでコロナの時代に突入していたらと考えると恐ろしい――広末涼子と家族との2年間
「今、写真がどんどんデジタルになって、紙をめくる感覚は少なくなっていて。でも、写真の重厚感とか、ぜいたく感が出れば、写真集としては素敵なものになるんじゃないかなっていう予感はあって。『この1枚があるから、この写真集、買って良かった』と思ってくれれば、その1枚が別に私ってわからなくてもいいんですよね。わかりやすい華やかさじゃなくても、圧倒されるような写真があれば、この年齢を重ねてきた意味と写真集が合致するんじゃないかなって」 年齢を重ねての写真集の意味を察するかのように、周囲が反応してくれたもの嬉しかったという。 「友達が『もうネットで予約したよ』とか言ってくれて、すごく嬉しくて。『同じ時代を過ごしてきて、一緒に歳を重ねてきたから、同じアルバムをめくるみたいに、元気をもらえるんだよ』って言ってくれたり。同世代の人たちに『勇気をもらえる』って言ってもらえたら、すごく嬉しいですよね」
家族は運命共同体
2年に及ぶ撮影は家族の協力もあり続行され、さらに最終局面でも家族の協力を得たという。 「表紙が自分ではどうしても決められなくて。それで、主人と母と長男には、どれがいいと思うか見てもらいました」 写真集の撮影が2年間に及ぶ理由となったコロナ禍の日々。だからこそ家族のありがたさを再確認した面もあった。 「もう家族は運命共同体だと思って。最大限、気を付けながらも、もう子どもがかかったら、自分がかかっても仕方ない。自分が持ち帰ったら、家族に『ごめんなさい』って思うしかないなっていう部分はありましたね。この仕事は、リスキーであるのは間違いないですよね。たくさんの人に会わなきゃいけないし、撮影ではマスクも外さなきゃいけないし。でも、自分がひとりぼっちで、このコロナの時代に突入していたらどうだったんだろうって考えると恐ろしくて。私の性格だと、家族がいてくれて良かったなと思うし、逆に日常のありがたみとか、家族の存在のありがたさを感じさせてもらったというのはありますね」