この冬、「ショパンの晩年の作品だけを弾く演奏会」に挑む女性ピアニストが初めてたどりついた、ショパンの「過激ですごい世界」
ジョルジュ・サンドとの濃密な2年間が与えたもの
以前のインタビュー(「ピアニスト、イリーナ・メジューエワが「オールショパン演奏会シリーズ」をスタート!「ショパンの創作期は女性関係できれいに区切れます」」)で、ショパンの音楽は女性との関係で時期が分けられるのではないかと言いました。初期はコンスタンツィヤ・グワトコフスカとか、マリア・ヴォジンスカ。中期がヴォジンスカと別れてジョルジュ・サンドと一緒になって、何年かを過ごすという時期。そして後期はそのサンドとの関係が時間とともにだんだん難しくなって、別れる時期だと。 二人の関係がどういう経緯を辿ったか、真実は誰も知らないわけです。サンドのほうの手紙が、彼女が全部捨てたので残っていないので。ただショパン自身の手紙に関して、最近、ちょっとした発見がありました。 個人的な意見ですから間違っているかもしれませんが、ショパンの手紙のスタイルが、ある時点ですごく変わるのです。手紙の書き方といいますか、文章そのものではないですが、それまですごくピュアだったのが、突然、大人っぽく、シニカルになる。それもたった2年のうちに。やっぱりサンドとの関係は、ショパンにとっては凝縮されたものすごく濃い人生経験だったのです。 そのようなサンドとの経験があったからこそ、すごい作品が生まれたのではないでしょうか。その証拠にサンドと別れた後は、ショパンは全然書けなくなってしまいます。いわゆる晩年の傑作群は、関係は悪化したけれど、二人がまだ一緒にいた時期に書かれています。サンドの存在がショパンの創作活動のために果たした役割は、やはりとても大きかったと思います。
激しく悲劇的。だけど健康的な
今度のコンサートの曲で演奏する曲ですが、講談社現代新書の『ショパンの名曲』で『スケルツォ4番』や『二つのノクターン』作品55には触れたので、本の中で取り上げていない曲で人気のある曲、『バラード第4番』についてお話ししようと思います。 バラードでは『第1番』がとても人気がありますが、『第4番』は別世界。バラードの中ではもちろんのこと、晩年の作品群の中でも傑作中の傑作です。今回のプログラムの中ではたぶん一番ドラマチックで激しい曲。そして悲劇的な要素も強い作品ですが、その一方で、ひょっとすると、一番「健康的」かも知れません。 晩年のスタイルの特徴として、現実から離れて「この世」と「あの世」を行ったり来たりする方向に音楽がいっていると思います。『幻想ポロネーズ』もそうですし、『二つのノクターン』作品55もそうです。『スケルツォ第4番』もそうですし、後期のマズルカもそうです。でも、バラードでは、もちろんそういう要素もありますが、まだ「この世」に心が残っている。 それはどうしてかと考えると、もしかするとバラードというジャンルが、もともと伝説という過去のことを扱うものだからではないでしょうか。逆説的ではありますが、「過去」という形で現実に根ざしている。まだ過去という「この世」のことが残っていて、完全に「あの世」に移行してはいない。過去と未来、「この世」と「あの世」の真ん中にショパンが立っている。今回のプログラムの中では唯一の作品かもしれません。 同時に後の作曲家たち、ロシアのスクリャービンとか、メトネルもそうですが、1楽章だけのソナタを書く人が増えていきます。その先駆者が、このバラードではないでしょうか。その意味で、後の世代に大き影響を与えた作品です。後代への影響という点ではもう一つ、このバラードの中にカノン的な部分が出てきますが、それがシェーンベルクのような無調的な音楽になる。そういう過激な要素も強いんですね。 ピアニスト的な意味では、難しい。『ピアノ・ソナタ第3番』と『バラード第4番』はヴィルトゥオーゾ・ピースですね。 しかも技術が「ハーモニーが歌っている」という領域にまで到達しなければなりません。単にポリフォニカルに、すべての和音、声部、あるいはメロディとメロディが重なっていけばよいというのではないのです。単なる和音を超え、すべての声部が歌うという大変な技術を目指している。でもその一方では、どんな難しいパッセージも手には自然に書かれている。ショパンのピアノ芸術の最高到達点だと思います。 中期の頃の作品には、技術の追求で終わってしまったような部分も見受けられます。その意味で、中期はちょっと実験的。いろいろなことにトライしながら、自分自身を広げていこうとしています。でも、『バラード第4番』になると、やっていることが名人芸になっている。 例えばオクターブにしても、和音にしても、ショパンがもし「演出家」だとしたら、以前は1人2人にしか役を与えられなかったのが、後期には8人ぐらいに細かく役を割り振っている。それくらい、よりポリフォニックになるわけです。 たぶん人間の耳ではいっぺんに8個の音はなかなか聴き分けることはできないでしょう。例えば、会議室に8人の人がいて、その8人が全員一度にしゃべったら聞き取れないじゃないですか。でも、年齢を重ねていくとだんだんと、耳が聴き分けられるようになる。そんなイメージです。 (2024年9月18日講談社にて。聞き手:現代新書編集部) 【後編「「私にとってすごく美しいプログラム」…「ショパン晩年の作品だけを弾く演奏会」に挑む女性ピアニストがそう語る理由」につづく】 *
イリーナ・メジューエワ