ティモンディ・前田裕太「僕は高校時代に一度、死にました」どん底を経験して今感じることと「家族への後悔」
「絶対、甲子園に行く」と信じて入った済美高校の野球部で、「これまでの努力がすべて無駄になった」という経験をしてしまいました。絶望しましたね。 今は、当時の自分が好きではないのですが、あの頃は「結果がすべて」だと思っていました。「あんなにたくさん練習をしたのに甲子園に行けなかったのは、自分がダメだからだ」と、自分の存在を否定するような気持ちにもなりました。 今思うと視野が狭かったなって。こうした状況を乗り越えられる人がプロ野球選手になれるんだろうなと思いますが、「主人公だと信じていた自分たちが、実はそうでなかった」と突きつけられたようで、世界が終わったくらいに思いました。そのまま野球部は引退したのですが…。
── それは…しんどいですね。 前田さん:甲子園に行けないことが決まってしばらくは、帰省して部屋に引きこもっていました。当時は親にもだいぶ心配をかけたと思います。
■「未熟だったな…」家族に今思うこと ── 前田さんのご家族構成は? 前田さん:両親と僕、弟の4人家族です。昔は、弟も野球をしていました。僕が野球に熱中していたから、周囲からは「前田の弟もさぞかしうまいんだろう」って言われていたようで。でも、本心はあまり好きじゃなかったみたいです。中学のときも言われるがまま野球部に入ることになって、きっと不本意だっただろうなと思います。
きょうだいってどうしても比較されると思うのですが、僕もフォローできたらよかったのにと今さらながら思います。でも、当時の僕は野球で頭がいっぱいで、「お前が頑張ればいい話じゃん」みたいな態度を取ってしまっていて。本当に未熟でした。 ── 当時、ご家族みんなが野球のほうに向いていたのでしょうか。 前田さん:そうですね。両親は、僕たちがやりたいと思うことを一生懸命やればいいし、進路は別に何でもいいよ、という考え方でした。それは本当にありがたいことだったと思います。
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