渡邉恒雄さんが名医・帯津良一さんに明かしていた“死生観” 「新聞社のトップはいつ殺されても不思議はない」
■大往生の時期はどんどん延長 帯 働くときにはアドレナリンが増えたほうがいい。これは怒ると増えますから、いい仕事をする人は、少し怒ったほうがいいんですよ。 渡 じゃあ、時々怒ったほうがいいんですね。よし、怒ろうと思えば、いくらでも怒る相手、いますから。 帯 いますよね。最近もあったみたいですし。 渡 まあ、あるよな。 帯 その一方で、和やかな部分もお持ちですよね。そのバランスが大事なんですよ。奥さまに対する愛情には頭が下がります。 渡 女房は、くも膜下出血で倒れたんだけれども、同じ家にいながら部屋が違ったから、9時間も放置したんですよ。非常に後悔してます。2カ月は生死をさまよい、残る4カ月は入院。入院しているときは、もう頭がおかしくなっていて、僕のことがわからない。認知症ですね。退院しても最初は、半身不随で何歩も歩けない。毎日、家の中でリクライニングチェアに座って、塀を見ているだけ。空も見えない。高村光太郎の『智恵子抄』のなかに、智恵子が「ほんとの空が見たい」という詩が出てくるでしょう。「そうだ、空だ」と空の見えるマンションに引っ越すことにしました。それからですね。どんどんよくなったのは。 帯 いいご決断ですね。 渡 今は両足で歩くし、冗談は言えるし、朝出かけるときは忘れ物の点検もしてくれる。医者には横ばいはあってもよくなることはないと何度も言われたけれど、よくなった。夫の愛情のせいか知らんが。 帯 今まで引退を考えられたことはないんですか。 渡 仕事をやめるときは死ぬときじゃないですかね。 帯 冒頭では「達者でポックリ」は2年後の88歳っておっしゃってましたが。 渡 だからだんだん延長しているんですよ。最初は80歳。で、次は85。85というといますぐに死ななきゃならない。だから88に延長してるんです。僕の親分の務台光雄っていうのは94歳まで代表取締役として全権握っていたよ。頭はボケなかったし。だから人事権は彼一人が握っていた。 帯 その記録、更新しようと思ってません? 渡 いやいや、もうくたびれる。務台さんも最後はいろんな病気をやって相当苦しんだ。「達者でポックリ」がいいんですよ。 帯 いや、まだまだ大丈夫ですよ。外では怒りを忘れずに仕事して、内では愛情に満ちた奥さまとの生活を大事にされている。これこそまさに養生です。いつまでもお元気でいらっしゃる理由がわかりました。 (構成・梅村隆之) <ホスト>おびつ・りょういち 1936年生まれ。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく様々な療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。著書に『達者でポックリ。』、『健康問答』(共著)など <ゲスト>わたなべ・つねお 1926年生まれ。読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆。東京大学文学部哲学科卒業。ワシントン支局長、政治部長などを経て91年、代表取締役社長、04年から現職。著書に『派閥』『党首と政党』など
週刊朝日編集部