え? 王様と家を交換!? 家ガチャが凄すぎる貴族とは? とある侯爵家の波乱万丈の歴史
中興の祖となった女傑メアリ・アメリア
こののち、ソールズベリ伯爵家はイングランド国教会に復帰したものの、半世紀以上にわたり一族から傑物が登場することはなかった。 転機が訪れたのは7代伯爵ジェームズ(1748~1823)のときだった。彼は25歳でひとりの貴族の令嬢と結婚する。お相手は2つ年下のメアリ・アメリア(1750~1835)。主要閣僚を務めるヒルズバラ伯爵の長女であった。彼女は社交の才に恵まれ、ハットフィールド・ハウスもロンドンのソールズベリ・ハウスも一躍、社交界の中心地へと衣替えされていく。 彼女が特にひいきにした政治家が、現在でも破られていない史上最年少記録の弱冠24歳で1783年に首相に就いたウィリアム・ピット(小ピット)だった。これ以後、ソールズベリ・ハウスはピット派(トーリ:のちの保守党)の政治家たちがたむろする社交場のひとつとなった。この機会を逃すような伯爵夫人ではなかった。すぐさま夫を宮内長官に据えてもらい、宮中にまで縁故を拡げたメアリ・アメリアは、1789年についに夫を侯爵に陞爵(しょうしゃく)させることに成功を収める。 第5代デヴォンシャ公爵の夫人ジョージアナ(メアリ・アメリアより7歳年下)は、まさにロンドン社交界における初代ソールズベリ侯爵夫人メアリ・アメリアにとって最大のライバルとなった。ジョージアナの屋敷にはチャールズ・ジェームズ・フォックス系(ホイッグ:のちの自由党)の政治家が集まっていたことも先述したとおりである。 しかし、ギャンブル癖による借金まみれのうちに48歳で亡くなったジョージアナとは対照的に、メアリ・アメリアは愛人や賭事に溺れることもなく、強靱な体力を維持し続けていく。彼女は賭事より狩猟を好み、なんと78歳まで続けていたほどだった。これ以後は視力にも衰えが見られたが、80歳を過ぎても足腰はしっかりしていた。 そのような彼女を悲劇が襲った。1835年の冬にハットフィールド・ハウスの西翼で火事が起こり、侯爵夫人はこれに巻き込まれて亡くなってしまう。85年の生涯であった。悲劇的な死ではあったが、それはまた生涯を「ソールズベリ侯爵家」のために尽くした、彼女らしい最期であったのかもしれない。 彼女が築き上げたソールズベリ侯爵家に、いよいよ傑物が登場するのが19世紀後半になってからのこととなる。 君塚直隆 1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』(2018年サントリー学芸賞受賞)、『悪党たちの大英帝国』、『ヴィクトリア女王』、『エリザベス女王』、『物語 イギリスの歴史』他多数。 協力:新潮社 新潮社 Book Bang編集部 新潮社
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