大谷翔平選手が投稿した“ドジャーブルー”の鉄瓶 南部鉄器9代目の挑戦 「ものづくりのバトン」を次の時代へ
すると同社には問い合わせや注文の電話、メディアの取材が相次ぎ、あっという間にECサイトの在庫は売り切れた。 「大谷選手の投稿後、通常1年分の製造数を半日で注文いただき、納品予定は2025年春以降。まさにうれしい悲鳴です。大谷選手の地元で作った鉄瓶が、これからの彼の新しい人生に迎えてもらえたことはうれしい」と菊地さんは言う。 ■発信に影響力、モダンなポット復刻も実現 今回の件で注目を集めた菊地さんだが、実はその前からXでのフォロワーは3万人を超え、たびたびバズらせてきた発信力のある人物だ。
「アマビエ」の形をした鉄玉(写真下)を商品化するまでのプロセスや、父親で専務の章さんが若き日にデザインした鉄瓶「スワローポット」への思いを綴った投稿で大きな話題を呼んできた。 章さんが26歳の時に手がけたスワローポットは、鉄瓶の日本的なイメージからかけ離れたモダンなデザインで、当時としては斬新で挑戦的なものだった。しかし昭和の終わりには評価を受けることはなく、その後は廃番になっていたという。 2020年に海人さんがこのスワローポットへの思いを伝えた投稿は4万以上の「いいね!」がついた。その反響を知った章さんは、長く封印していた過去の作品への情熱に火が付き、30年ぶりに製造を決意。
2021年には復刻版がグッドデザイン賞を受賞。さらに今年、大谷選手の投稿で騒然となった同じ日には、イタリアの国際的なデザイン賞で銀賞を受賞したというエピソードもある。 日々、国内外に発送する鉄瓶の写真の投稿を続けている菊地さんのSNS運用のモットーは「情報ではなくストーリーを伝える」こと。 若い世代にとっては縁遠いと思われがちな伝統工芸だが、開発秘話や職人たちがその鉄器にむけるこだわりを、自らも職人である菊地さんがシンプルな表現で伝えることで共感を呼んできた。
■業界の盛衰と人生をともに 南部鉄器職人の家の長男として生まれ、今では南部鉄器の価値を伝える“伝道師”としてその存在感を発揮している菊地さんだが、この世界に入ったのは意外に遅く、30代になってからだという。 高校卒業後は、飲食店や携帯電話ショップのスタッフ、広告代理店のディレクター、自動車工場の派遣社員など、いくつもの職を転々とし、リーマンショックの後には“派遣切り”も経験。 一時期はほぼひきこもり状態の1年間を過ごした。「南部鉄器を継ぐ家の9代目に生まれながら30歳を過ぎてからも自分探しを長引かせ、迷走していた」と振り返る。