悠仁さま筑波大合格 どうなる?多忙な理系生活と「帝王学」のリミット 「通学の3時間でレポートくらい書ける」と“先輩”の声
■「浩宮さまの日本語はわかりやすく美しい」 天皇陛下(当時は浩宮さま)の学びの時間は、ご一家が夕食を終えたあと。両隣に上皇さま(当時は昭仁皇太子)と美智子さまが座って1時間ほど講義をし、芳賀さんが合いの手を入れながらお茶やお酒とおつまみでたっぷり歓談した。お三方は終始よく発言なさっていたという。 教授陣による「家庭教師」は、大学時代も続いた。 あるとき上皇さまから「皆さんの前で発表をしてみなさい」と勧められた陛下は、芳賀さんら学者が並ぶ前で、1時間ほど卒業論文について説明した。芳賀さんらは、大学の学生と同じように、さまざまな質問を重ねた。 陛下の表現が足りないときは、上皇さまが「こうだったのではないか」「その点はどうだった?」と助け舟を出すこともあった。 「浩宮さまは、小難しい用語は使わず、わかりやすく、いつも正確で美しい日本語を話された」という。 ■7歳で平和の礎を訪れた悠仁さま 一方、悠仁さまも幼いころから、皇位継承者としての学びを続けている。秋篠宮ご夫妻とともに日本各地に足を運び、土地の文化に触れ、人びとと交流を重ねてきた。 2013年には、秋篠宮ご夫妻は7歳の悠仁さまを連れて沖縄本島南部の糸満市摩文仁にある「平和の礎」を訪れた。ご夫妻は、24万人の名前が刻まれた石碑を見ながら、紺のスーツとネクタイを着用した悠仁さまに、犠牲者について説明されている。 夏には、学童疎開船・対馬丸の犠牲者を慰霊するつどいや沖縄戦を考える行事に参加し、小笠原諸島では戦争の塹壕や軍道など史跡を巡った。広島県で被爆者の体験を聞いたこともあった。 18年の夏には、戦史研究家の故・半藤一利氏が秋篠宮邸で悠仁さまに戦争について話をしている。悠仁さまは「どうして日本に原爆が落ちたのか」「なぜ戦争になったのか」などと質問し、秋篠宮さまは「統帥権」についても質問した。親子で一緒に勉強している様子がうかがえたという。