緒形直人 青年座の先輩・西田敏行さんは“俳優の神様”「この人の近くにいたいと…」
■父子二代で大河ドラマに主演!20年以上悪夢が…
1992年、大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」に主演。父子二代で大河ドラマの主役を務めたことも話題に。 ――20代半ばで大河ドラマに主演されましたが、聞いた時はいかがでした? 「僕はこのプロデューサーは、頭がおかしいんじゃないかと思いました。20歳でデビューして、25であの役だったんですよ。話が来たのは24になってすぐ。僕がスタッフ志望だということをどこかの記事で知らないのかなって。 (青年座の)社長さんから『来年の10月スタートで信長できる?』って電話が来たんですけど、その前の『翔ぶが如く』の撮影は10カ月間やっていたので、どれぐらいの期間やるのか聞いたら13カ月間だと言われて。 『何の役?』って聞いたら『信長です』って言うんですよ。『タイトルが信長で僕は何の役?』って聞いたら『だから信長です』って。それで、『何を言っているの?今まで牧場の青年とか大学生とかをやっていた僕が信長のわけないじゃん』って言ったけど『信長なんです!』って言うから、『ちょっとまだ頭の整理ができないから、1回電話を切るわ』って言って。 何日ぐらい考えたのかな?『何で俺なの?』って。歴史の勉強もあまりしてなかったし、信長のことだって名前は知っているけど、1年間演じられるほど細かくは知らない。もちろん家康も秀吉も知らない。『ホトトギスを殺しちゃえ、ぐらいしか知らない人が何をやるの?』って。 でも、脚本家の田向(正健)先生が、『信長をやるにあたって、信長に関しての勉強は一切しないでくれ。今までの知識も全部捨ててくれ』って言うんですよ。捨ててくれも何も、知らないからそれはいいんだけど、『台本だけを頼りにやってくれ』と言われたので、台本だけを頼りにして。 重光(亨彦)さんというチーフディレクターには、その前に『荒木又右衛門~決戦・鍵屋の辻~』(NHK)という正月時代劇でお世話になっていて、田向さんはその時の脚本家なんですよ。 その同じ人たちがその3年後にこの話を僕に持ってくるんだから、これは嘘じゃないなって。それで、『何も知らなくていい、ここからでいいんだ』って言うんだから、『すごいなあ、こんな冒険するの、あなたたちは?』と(笑)」 ――大河ドラマですものね 「そう。それで、『どうしよう?』って…ない頭でずっと考えて。でも、僕は1回どん底に突き落とされて、そこから這い上がるぐらいのことをやらなかったら、やっぱり10年持たねえなって。ヒデ(吉岡秀隆)みたいにはなれないなって思って。それまで一緒になってきた錚々たる俳優たちの顔が浮かんだんですよ。 その前の『翔ぶが如く』でもいろんな俳優たちを見てきました。もちろん青年座の先輩でもある西田敏行さん、天才的なあの人の(西郷)隆盛像を見てきて。鹿賀丈史さん、内藤剛志さんやらすごい人たちがいっぱい出ていたので、『僕はどうしたらあの人たちになれるんだ?』って思った時に、これも試練なんだなって。 しかも、自分なんか納得させるものが何もない。断った方が簡単だし、断っても多分誰も何も言わなかったと思う。でも、僕の中では『断るのもどうかな?』っていうのがあったんですよね。やり終わってから『これは断ってもおかしくなかったな。これは他の人がやっていたらもっといい話になったかもしれない』って思ったりしましたよ。 当時は『プレッシャー』という言葉はまだあまり使われてなかったんですけど、『何なんだろう?この重みは』って。毎日鎧を背負って現場に行く感じがするぐらい、ものすごく大変な現場でした」 「あの時の演出部のセカンド、サードの人たちとは、それから何年か後に仕事をして、『本当にすごかったですね、緒形さん。もう本当に信長に見えましたよ。当時どういう心境だったんですか?』って言われたんですけど、『俺は本当に大変だったんだよ。もう1回やれって言われたら多分できないし、あれから何年大河の主役の夢を見てきたことか』って。 それこそ悪夢ですよ。今でこそ見なくなったけど、信長が終わって20何年かは、大河の撮影現場で、そこに主役としているんだけど、台本ももらわずにみんなの中に立たされて、『やべえ!』って汗をかいて起きるんですよ。それぐらいの思いをしました」 ――20代半ばで大河の主演という大役を見事にやりきって 「本当にあれをやりきって、やりきれた自分を褒めるだけが精一杯。実は途中でちょっと逃げようかなって思ったことも何度かあるんですよ。もうできないんじゃないかって。そんな大変な役をやりきっただけでも、自分で自分を褒めました」 ――最終回の「本能寺の変」の鬼気迫る感じが印象に残っています 「そうですか。ようやくこれで終われるんだ、ようやくこの日を迎えられたっていう思いだったのかな。撮影が終わった後、すぐに会見があって、『明日も現場に来る感じがします』みたいなことを言ったんだけど、嘘を言っているんですよ、もう明らかに(笑)。 そんなこと全然思ってない。『やった!終わった!もう寝るぞ』みたいな感じでしたね。よく10円ハゲもできなかったなって思うぐらい大変でしたから(笑)」 ――そうこうしているうちにデビューから10年経つわけですが、10年続けたら褒めてやると言っていたお父さまは? 「20歳で始めて30になった時にオヤジに言いました。きっと忘れているから、『10年経ったよ』って。そうしたら『よくやったな。よくできたな』って褒めてくれました。それで、 お祝いにカバンを買ってもらいました。 それはものすごくよく覚えています。オヤジに褒められたことなんてなかったから、初めて褒められて本当にうれしかった。ちゃんと10年間、よく続けてこられたなっていうことですよね。途中で挫折せずに、信長も最後まで何とかやれて良かったなって、その時に思いましたね」 今年でデビューして37年。実力派俳優として広く知られ、数多くのテレビ、映画に出演。映画「サクラサク」(田中光敏監督)、金曜時代劇「スキッと一心太助」(NHK)など主演作品も多い。次回後編では映画「64―ロクヨンー前編・後編」(瀬々敬久監督)、「アンチヒーロー」(TBS系)の撮影エピソード、最新作の映画「シンペイ~歌こそすべて」(神山征二郎監督)も紹介。(津島令子) ヘアメイク:井村曜子(eclat) スタイリスト:大石裕介
テレビ朝日