トヨタ「ヴィッツ」が作ったコンパクトカーの新たな世界基準とは?【歴史に残るクルマと技術064】
長くトヨタの看板コンパクトカーとして愛され続けてきた「スターレット」に代わって登場した「ヴィッツ」。性能、居住性、乗り心地などすべてにおいてワンランク上のレベルに引き上げたヴィッツは、日本のみならずコンパクトカーの本場欧州でもその実力が認められ、日本と欧州で“カー・オブ・ザ・イヤー”をW受賞した。 TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・ヴィッツのすべて ヴィッツ誕生までのトヨタ・コンパクトカーの歴史 トヨタ・ヴィッツの詳しい記事を見る ヴィッツの源流は、1961年にデビューした小型大衆車「パブリカ」まで遡る。パブリカは、当時日本政府が提案した“国民車構想”の設計思想に基づいて開発され、日本の大衆車の先陣を切って誕生した。そのパブリカの2代目の派生車で1973年にスポーティな上級モデルとして「パブリカスターレット」が登場した。 パブリカスターレットは、パブリカとは全く異なる直線基調のロングノーズのスポーティなクーペで、軽量コンパクトなボディの強みを生かしてモータースポーツでも活躍した。パブリカスターレットは、1978年のモデルチェンジを機に「スターレット」の単独名に変更し、スターレットがパブリカの後継車となった。 ここから実質的にスターレットの歴史が始まり、その後エントリーモデルから“カッとびスターレット”と呼ばれたスポーティなモデルまで多彩なバリエーションによって、広い層に支持されてトヨタの看板コンパクトカーへと成長した。 そして、スターレットは5代目を最後に1999年に「ヴィッツ」へバトンタッチしたのだ。 1990年代にはパッとしなかったコンパクトカー 現在コンパクトカーは人気の市場だが、ヴィッツが誕生するまでの1990年代のコンパクトカーは存在感が薄かった。当時はアウトドアブームが起こり、RVやミニバンなど多人数が楽しめるクルマが人気を集め、“安いがそれなりのコンパクトカー”は人気がなかった。 もうひとつ不人気だった理由は、1990年1月に軽自動車の規格変更があり、軽の排気量が550ccから660ccへと拡大され、1993年にデビューしたスズキの「ワゴンR」が軽ながら居住性に優れたハイトワゴンブームを巻き起こし、1.0L~1.3Lクラスのコンパクトカー市場を奪い取ったことが上げられる。 1990年代にヒットしたコンパクトカーとしては、日産の2代目「マーチ」とマツダ「デミオ」くらいであろう。1982年に誕生したマーチは、欧州を意識したグローバルコンパクトカーとして人気を呼び、1992年に登場した2代目は丸みを帯びたデザインに変更。初代同様ヒットし、日本と欧州で“カー・オブ・ザ・イヤー”をW受賞した。 1996年にデビューしたデミオは、ミニバンとステーションワゴンを融合したコンパクトワゴンというコンセプトで人気を獲得。居住性と実用性を両立させ、広く支持されてヒットし、低迷していたマツダの救世主となった。 コンパクトカーのイメージを刷新したヴィッツ 1999年に誕生したヴィッツは、“世界に通じるコンパクトクラスの新ベンチマークとなる”をコンセプトに掲げ、プラットフォームや主要コンポーネントすべてを一新した新世代コンパクトカーとして誕生した。 従来のシンプルな2ボックススタイルではなく、丸みを帯びた世界に通用する欧州車風のハッチバックスタイルを採用。ロングホイールベース化することで広い室内空間が実現され、さらにワンランク上のインテリアで上質感をアピール。 パワートレインは、小型・軽量化を図った最高出力70psの1.0L直4 DOHC VVT-i(可変タイミング機構)エンジンと、5速MTと電子制御式4速ATが組み合わされた。 さらに世界戦略車に相応しいように走行性能や安全性能も高められ、海外では「ヤリス」とネーミングして世界中で人気を獲得。発売当初から月販1万台を越え、初年度はカローラに続く15万台を達成し、日本と欧州でカー・オブ・ザ・イヤーをW受賞した。 車両価格は、84.5万~128万円。当時の大卒初任給は19.7万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で99万~149万円に相当する。 ヴィッツの出現が、それまでのコントパクトカーのイメージを一掃。すべてにおいてワンランク上のレベルに一気に引き上げ、ヴィッツが世界のコンパクトカーの世界基準となったのだ。 4代目を迎えたヴィッツは、海外名ヤリスへ統一 2代目ヴィッツも順調にヒットしたが、3代目はライバルの台頭もあり、人気にやや陰りが見え始めた。そして、2020年2月、トヨタから新型「ヤリス」が登場した。ヤリスは、もともと海外向けに「ヴィッツ」が名乗っていた車名だが、4代目ヴィッツのモデルチェンを機に車名がヤリスに統一されたのだ。 ヤリスは、コンパクトカー専用TNGAプラットフォームを採用して高い剛性と軽量化を実現し、躍動感のある洗練されたスタイリングへ変貌した。 パワートレインは、1.0Lエンジンと1.5Lの新型ダイナミックフォースエンジン、ハイブリッドの3種を用意して、ハイブリッドの燃費はクラス世界トップレベルの36.0km/L(WLTCモード)を達成した。 さらに、トヨタ・セイフティ・センス」など運転支援システムを搭載し、トヨタの最新技術を採用したヤリスは大ヒット。2020年の販売台数ランキングは登録車で堂々の1位、2023年もトップの座を守り、2024年現在も大ヒットを続けている。 ヴィッツが誕生した1999年は、どんな年 1999年には、ヴィッツ以外にもホンダの「S2000」、「インサイト」などが誕生した。 S2000は、ホンダ自慢の高回転高出力NAを搭載した、かつてのS500/S600/S800のSシリーズを復活させたオープンスポーツ。インサイトは、プリウスに対抗して2年遅れで登場したホンダ初のハイブリッド車。ただし、プリウスとは異なるマイルドハイブリッドの2シータークーペだった。 また、1990年代に経営不振に陥った日産自動車が、この年ルノーから資本受け入れて提携を締結。ルノー傘下に収まり、カルロス・ゴーンCOOによる会社再建をスタートさせた。 自動車以外では、ソニーがコミュニケーション機能を持つ犬型「AIBO」を発売、エンターテインメントロボットの先駆けになった。また、ガソリン107円/L、ビール大瓶212円、コーヒー一杯416円、カレー648円、ラーメン530円、アンパン120円の時代だった。 ・・・・・・ “安いが、それなり”のコンパクトカーを、すべてにおいてワンランク上に引き上げた新世代コンパクトカー「ヴィッツ」。日欧でカー・オブ・ザ・イヤーをW受賞して世界のコンパクトカーに大きな影響を与えた、日本の歴史に残るクルマであることに間違いない。
竹村 純