それでもマウンドに立つことを目指して ケガに泣かされた「ガラスのエース」たち
腰痛により2軍で調整中の東京ヤクルトスワローズの奥川恭伸投手。ここ数年はケガに泣かされていて、1軍での登板は2022年3月の巨人戦が最後だ。ブルペン投球を再開しているというが、今シーズン中の復活はあるのだろうか。 【画像】ケガに泣かされた「ガラスのエース」たち そして、奥川投手のように高いポテンシャルを持っていたにも関わらず、ケガに泣かされた選手たちがいる。これらの選手を紹介する。 ■1年目の前半戦だけで7勝2敗、防御率0.91をたたき出した伊藤智仁 まず1人目は、伊藤智仁。現在、ヤクルトの投手コーチを務める伊藤。1992年、ドラフト1位で入団すると、1年目の途中まで7勝2敗、防御率0.91の好成績を収める。だが、夏場に離脱し、その年はシーズン終了まで復帰することはなかった。 1994年、95年も右肩を痛め一軍登板なしに終わる。復帰したのは入団から3年後の96年。そして転機となる97年はリリーフに転向、7勝2敗19セーブ、防御率1.51と復活し、カムバック賞を受賞した。 98~00年の3年間は順調で22勝するも、01年に肩の手術を受ける。その後は思うような投球ができず、01年の登板を最後に03年に引退。通算成績は37勝25敗25セーブ、防御率2.31。 2人目は、斉藤和巳。現在、福岡ソフトバンクホークスの4軍監督を務める斉藤。1995年、ドラフト1位で入団したが、3年目の1998年に右肩を手術。その後も肩の故障に悩まされた。 だが、03年にブレイクした。この年は、20勝3敗、防御率2.83の成績で最多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得し、沢村賞も受賞した。06年は18勝5敗、防御率1.75の成績で投手4冠にも輝いた。 だが、それ以降は右肩の故障に悩まされ、08年以降は1軍での登板はなく12年に引退。通算成績は79勝23敗、防御率3.33。
独立リーグで選手兼任投手コーチとして現役を続ける由規
3人目は、由規。由規は2007年、高校生ドラフト1巡目でヤクルトに入団。最速161キロの速球を武器に、08年から11年の4年間で26勝をあげ、エース候補として将来を嘱望されるも、12年に右肩を負傷し離脱。その後も故障に悩まされ続けた。 16年7月9日の中日戦で1771日ぶりの一軍登板。この年は5試合に登板し2勝3敗、防御率4.56。復活の兆しが見えたものの、18年に再び右肩を負傷し、同年にヤクルトを戦力外に。 その後は楽天にも所属し、現在は独立リーグの埼玉武蔵ヒートベアーズで投手コーチを兼任しながら現役を続けている。NPBの通算成績は32勝36敗、防御率3.66。 4人目は、川崎憲次郎。ヤクルト時代の1998年には17勝をあげ、最多勝を獲得。沢村賞も受賞した。00年オフにFAでヤクルトから中日に移籍後は、右肩の故障に悩まされ、中日に移籍後3年間登板なしに終わる。 04年は当時の落合博満監督から開幕投手に指名され、1274日ぶりの一軍登板となった。だが、この年は3試合の登板で0勝1敗、防御率34.71に終わり、同年に引退。中日での4年間で3登板。通算成績は88勝81敗、防御率3.69。