太川陽介「いや、本当に大嫌いでしたよ(笑)」『バス旅』蛭子能収との撮影秘話「こんなに長く乗り続けるとは夢にも思わなかった」テレビから離れていた時期に訪れた転機
1970年代から2020年代の現在までテレビバラエティに出続けている人は多くない。太川陽介さんは長きにわたり芸能界のトップで活躍された人だが、その中では大きな浮き沈みがあったという。ヒット曲や「バス旅」との出会い。軸足を置くことになる舞台の魅力。「バス旅」で見せる“リーダー”の決断力のごとく、その時々での判断が独自の道筋を生み出したようだ。太川陽介のTHE CHANGEとは?【第1回/全4回】 ■【画像】「本当に大嫌いだった」蛭子さんと5年振りの再会! 太川陽介のYoutube「ルイルイちゃんねる」 太川陽介さんのヒストリーをたどるとき、外すことのできないのが、テレビ東京の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』。2007年10月に第1回が放送され、今も『バス旅vs鉄道旅』と形を変えながら16年以上続く人気シリーズとなっている。“リーダー”として番組を引っ張る太川さんだが、スタート時はどんな思いだったのか。 「あの当時、テレビからどんどん離れていってたので、舞台で一生懸命芝居をして、ここで力をつけて、また絶対テレビドラマの世界に戻ろうって思ってた頃なんです。必ず力をつけて、ドラマに戻るぞと思ってたら、なぜかバスに乗ってたという(笑)。でもそこからこんなに長く乗り続けるとは夢にも思わなかったですよね」
ミスマッチともいえる組み合わせが名コンビに!
人気番組になった鍵を太川さん自身、どう分析されているのだろう。 「第1回こそ目的地に到着した“成功”になりましたけど、番組2回目はゴールできず“失敗”だったんです。それまでのテレビって、必ず何かしらの方法で最後達成してエンディング、という形を作ってたじゃないですか。それをあっさり“駄目でした~”で終わるという。僕自身も辻褄合わせするものでしょ?って思ってたところがあったので、そのまま放っぽらかして、終わりって大丈夫なの?って思いました。 でも、そのガチ感が見てる人にインパクトを与えましたし、それ以上に業界がざわついたんですよね。なんかすごいことやってるぞ、と(笑)。そして、回を重ねるうちに話題になったのが、蛭子(能収)さんですよね。完全にマイペースでああいう感じだから全く番組のセオリーが通じない(笑)」 “リーダー”としてしっかり進行したい太川さんと、疲れたら休みたい、というマイペースの蛭子さん。このミスマッチともいえる組み合わせは名コンビとなった。 「いや、本当に大嫌いでしたよ(笑)。もう最初の頃は顔を見るとムカムカしてましたからね。エピソードはいろいろありすぎるんですけど、立ち寄った料理屋さんで、店の人に聞こえるように“エビが小さい”と言っちゃって、お店の方は、“もう撮影させない。帰ってくれ”って激怒されたとか(笑)。思ったことが口に出ちゃう人なので、そういうのはしょっちゅうでしたね。 もともと、この番組のキャスティングは僕が最初に決まったらしいんです。それまでテレビ東京の結構過酷な旅を一人でやってたんですけど、それをプロデューサーが“あんな大変そうな旅なのに、楽しそうにやってるから、今度の企画も太川さんだったら楽しくやってくれるんじゃないか”ということで。それで、もう一人を誰にしようとなって…どういう経緯で蛭子さんに決まったんでしょうかね。なんとなく決まったのかな(笑)。その辺はわからないですけど、練りに練って決まったという感じではなかったと思います(笑)」
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