日本初の海底水道、命懸けの海底炭鉱での仕事…日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』で振り返る長崎・端島の生活文化
炭鉱での仕事は専門職。ジョブローテーションのようなシステムはなく、基本的に一度就いた担当から変わることはなかったという。そして、同じ炭鉱員でも坑外で働くほうが肺の病を患う可能性は低かったのだが、最前で働く炭鉱員はみんな自ら希望するのが基本だったそう。「採炭の仕事は一番給料がいいけれど、それは命を危険に晒す作業を覚悟の上での仕事でもありました」と、黒沢氏は思いを巡らせる。 原料がダイヤと同じ炭素であることから“黒いダイヤモンド”といわれた石炭。当時、端島が産出する石炭の単価は国内で一番高く、それ故に端島の人々は豊かな生活を送ることができたのだ。 黒沢氏は、福岡・筑豊の炭鉱で働き、その様子を記録に残した山本作兵衛についても言及。彼は後に国内初の「世界記憶遺産」となった自伝にこう記している。 「炭鉱は日本社会の縮図」―― 日本各地から集まってくる島で働く人々の中には、企業のエリートだけではなく、さまざまな事情を抱えた人がいたという。「その環境は社会の構造そのまま。まるで端島が1つの国家のようだったんです」と、黒沢氏は現代日本を築き上げた、国家の縮図のような端島に思いを馳せるのだった。
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