なでしこ・ニールセン監督が目指す女子サッカーの未来 「協会にはしばらく嫌がられていたが…」
なでしこジャパンのニルス・ニールセン監督(53)が本紙の単独取材で今後への思いなどを明かした。以下、一問一答。 ――監督業に対する強い思いから、昨年5月にマンチェスターCのフロント職を辞した。その後の監督就任に至る経緯は。 「マンチェスターCでは重要なポジションにいた。ただ、やはり自分としては、ピッチ上でコーチとして躍動する方が向いていると分かっていた。テクニカルダイレクターを辞めた当時は全く話は出ていなかったが、後から日本協会が外国人監督を検討していると聞いて、こちらから連絡を取った。もし関心を持ってくださるならば、やり取りをさせていただけませんか?と。監督時代に何度か対戦したことがあったということで、出発点としては(女子委員長の)佐々木(則夫)さんと互いに顔見知りだったことが良かった。選考のプロセスは長く、候補も多くいることは分かっていたが、最も求められていたのは自分がチームに何をもたらすことができるかということ。そこから今のなでしこをどう強化できるか話し合っていると、凄く意見が合った。選考委員会の方ともやりとりをしたが、非常に建設的な話ができた」 ――11年になでしこを世界一に導いた佐々木氏は、女子サッカーに携わる者としてどんな存在か。 「自分にとってインスピレーションの大きな源。自信を持たせることや、文化にフィットするスタイルでプレーさせること。佐々木さんのやり方を自分なりにチームに合った形で、デンマークで取り入れようとした。本当に刺激をもらった存在で、凄くリスペクトを持っている」 ――グリーンランドの小さな村に生まれ、幼少期にデンマークに移り住んだ。どんな少年時代を過ごしたか。 「いつもボールを触っていた。教室の中でサッカーをして怒られたり、チームの練習がない日は自主練をいつもやっているような少年だった。ポジションはMF。所属したチームでは常にキャプテンだった。何でなの?とコーチをいつも質問攻めにしていたから。デンマークのミカエル・ラウドルップ選手が憧れだった。おそらくデンマーク史上最高の選手だと思う。実は後に、私が教えている指導者講習に彼が参加するという形で、憧れの選手に会うことができた。憧れの人のキャリア形成に自分が関われたことは自分にとって大きなことだった」 ――若くして指導者に転身した。13年にデンマーク女子代表監督に就任し、女子サッカーの道に進んだ。 「当時はU―21デンマーク代表の暫定コーチだったが、女子監督のポジションが空いていた。性格的に女子にフィットするとみられ、協会からオファーを受けた。私はデンマークにおける女子選手たちの扱い、環境を変えたいと常に思っていたので監督に就任した」 ――当時のデンマーク国内における女子サッカーを取り巻く環境は。 「男子中心で、女の子たちは自分がサッカーをやっていることを誰にも知られたくないような状況だった。女子選手には更衣室もない。トイレで着替えるしかなかったが、誰もおかしいという声を上げなかった。でも自分が親で、娘がそういう目に遭っていたらどうするか。私はフェアではないことが大嫌い。サッカーは男子だけではなく、みんなのものだということを強く主張した」 ――女子選手の地位向上のため、具体的に取り組んだことは。 「例えば選手たちに取材を受けてもらい、こういう状況だということを話してもらう。それはこだわり続けていた。協会にはしばらく嫌がられていたが、声を上げ続けた。17年にユーロの決勝までいったことが自分のキャリア最高の実績。ただ4年間でチームを強くしただけではなく、デンマーク国内における女子選手の認知度を上げることができたことが大きい実績だったと思う。認知度を上げるためには、メディアからの質問があればいつでも答えられるような状況を自分でつくる必要があるし、ポジティブなストーリーを常に語る準備をしなければいけない。とても大変ではあったけれども、自分はサッカー選手だと、選手が胸を張って言えるようになった。そういう環境を変えることができたことは、自分でも誇りに思っている」 ――27年女子W杯、28年ロサンゼルス五輪に向け、今年からチームづくりが始まる。 「とにかく選手たちを中心に置いたチームづくりをしたい。常に注目の中心に自分がいると選手たちが思うことが刺激になる。そういう良い雰囲気の中で世界の強いチームと対戦し、さまざまなことをテストしながら、(世界大会で)トロフィーを掲げるという目標のための基盤づくりをしたい。これだけのタレントがそろい、最善のチームをつくり上げることは、ワクワク以外の何物でもない。ワクワクの一年になる」 ◇ニルス・ニールセン 1971年11月3日生まれ、デンマーク領グリーンランド出身の53歳。大ケガで選手生活を断念し、20歳ごろに指導者に転身。同国クラブの下部組織や世代別の男子代表監督などを歴任。13年から同国女子代表を率い、17年に欧州女子選手権で準優勝。U―20中国女子代表コーチ、スイス女子代表監督を経て、23年から昨年5月までマンチェスターCの女子テクニカルダイレクターを務めた。