ギネス公認「世界一高いスカイツリー」…じつは、「6世紀以来の日本技術」で建てられている、という驚きの事実
多重塔と多宝塔
法隆寺は1300年以上前に建てられた古刹中の古刹で、世界最古の木造建築物を現世に遺している。法隆寺の伽藍を見ると、私はいつも、えもいわれぬ感動に襲われ、静寂の中にも胸が熱くなる感じを覚える。1300年以上もの間、さっそうと立ち続ける五重塔の美しさは格別である。 仏塔を建築様式で分けると、「多重塔」と「多宝塔」に大別される。 五重塔や三重塔の多重塔は、飛鳥時代に朝鮮半島から日本へ伝えられたものである。 多宝塔は、円筒状の塔身に隅棟が中央に集まる宝形(ほうぎょう/方形)の屋根を載(の)せた宝塔の周囲に裳階(もこし)をつけた形式の、平安時代にはじまる仏塔である。 多重塔と聞いて、われわれの頭にまず浮かぶのは五重塔である。実際に、“五重塔”は“多重塔”の代名詞といってもよい。しかし、意外なことに、日本の多重塔で最も数が多いのは三重塔である。 慶雲(けいうん)3(706)年に完成した奈良・法起寺の三重塔は過去、1262年、1678年の2回にわたって大修理を施されており、法隆寺の五重塔に匹敵する日本最古の三重塔である。 私の主観かもしれないが、姿の優美さやその歴史によって、一般的に最も人気がある三重塔は、薬師寺東塔であろう。この東塔は、薬師寺創建当初の唯一の遺構である。各層に裳階がつけられているので六重塔に見えるが、れっきとした三重塔である。2009年から大規模な解体修理が行われ、2021年に竣工した。
100メートルに迫る仏塔があった!
日本に現存する木造の多重塔は五重塔、三重塔と奈良県桜井市にある談山(たんざん)神社の十三重塔(701年創建、1532年再建)のみであるが、過去には七重塔、九重塔も造られた。遺された記録や基壇跡から判断すれば、想像を絶する高さのものもある。前述のように、現存する最高の木塔は京都・教王護国寺(東寺)の五重塔であるが、かつては、その2倍近い高さの木塔がそびえていたのである。 暦応(りゃくおう)3(1340)年の「院家雑々跡文」という史料には、 春日東御塔五重塔 高一七丈 興福寺五重塔 高一五丈 東大寺七重塔 高三二丈 法勝寺八角七(九)重塔 高二七丈 東寺五重塔 高一六丈 宇津宮十三重塔 高一六丈 と、京都、奈良周辺のものと目される木塔の高さが記されているそうである(上田篤編『五重塔はなぜ倒れないか』、新潮選書、1996)。法勝寺の八角塔は当初、七重塔であったが、すぐに、さらに二重が組み上げられて九重塔になったという。一丈は約3メートルだから、東大寺七重塔は約九六メートル、法勝寺八角九重塔は約81メートルの高さということになる。じつに、高さ100メートルに迫る仏塔が、かつての日本に存在していたのだ。 東大寺七重塔(東塔、西塔の2塔である! )が建てられたのは、第45代聖武天皇(在位724~749年)の天平時代である。そして、それらの塔は、それから約400年の間、存在していたという。当時の人びとが、その塔の高さにどれだけ驚いたか、私自身が、五十数年前に超高層ビル第1号(霞が関ビル、147メートル)を見たときの驚きを思い出すと、まさに想像を絶するものがある。
【関連記事】
- 【続き】驚愕…! 五重塔の大黒柱は「地面から浮いていた」…だから、大地震でも「倒れない」奈良時代から培われた「超」技術
- 【古道の傍に超技術】なんと「2000年もの間」田をうるおしてきた崇神天皇陵「驚愕の構造」
- 【遺された石工たちの技術】秀忠が大坂城再建のために用意させた「100万個の巨石」…岩山に打ち捨てられたままになっている「400年前の石工たち」のすごい技術
- 三内丸山の縄文人が誇った超技術の正体…なんと、中国の古代文明より1000年前に「巨大建造物を建てるワザ」が日本で確立していた
- 〈10008〉とか「ゼロ」がなかったら、どう表す…?ゼロの発見、定説はインド。じつは、それより「1000年も前に発見」されていた