『ライオンの隠れ家』洸人とともに悩み抜いた3カ月間 “自己責任”が先行する社会の希望に
独りになる恐怖を克服した美路人(坂東龍汰)
社会で生きていくうえで怖いのは、1人になることそのものよりも、独りになることで自分の視野が狭くなっていることに気づけないからかもしれない。祥吾の追っ手から逃げるために他人になりすまして生きていくことを選んだ愛生に、本当にそれが最善の選択なのかと洸人が問うシーンが印象的だった。だが、そんな洸人さえもライオンとの出会いを通じて、波風を立てないことを最優先して美路人の可能性を狭める選択しかしてこなかったのではないかと省みることもあった。 もしかしたら、誰かのアイデアを借りたら、もっといい選択ができるかもしれない。その耳を傾ける余裕が洸人自身にもなかった。「これしかない」「自分さえ耐えれば……」そう思うときこそ「本当にそう?」と話ができる人がいることの重要性。それが「安全なプライド」であるひとつの条件なのかもしれない。 ドラマを観ていて思ったのは、その安全なプライドの形成を血の繋がった家族だけに課すのではなく、社会全体で取り組むことはできないだろうかということ。子ライオンたちのように守られるべき存在を、みんなで気にかけて、大変な気持ちを分散できないだろうか。ときには寅じぃのように笑い飛ばしたり、あるいは柚留木のように具体的な手段を考えたり、洸人のようにともに悩んだり……。そうして、傷ついた誰かを「おかえり」と誰もが迎えられる隠れ家のようなプライドが作れたらと願わずにはいられない。 「お節介にならないだろうか」と手を差し伸べることをためらってしまう人も、「迷惑をかけてしまうんじゃないか」と手を取ることを遠慮してしまう人も。このドラマを通じて少しだけ安心できたらいいなと思う。なぜならお節介も迷惑も、誰かと関わってこそ生まれるもの。そして、きっと誰の心の中にも必要とされたいという気持ちがあるはずだから。 相手を助けることで、自分の居場所ができる。自由であることは、逆をいえば誰からも繋ぎ止められていない状態でもあるのだ。助け、助けられ、そうして誰もが大きなプライドの一員であると思い合うことができたら。誰かが独りで背負い込んでいたものを分け合った先に、新しい風景が待っているような気がした。それこそ、洸人が「みっくんのお兄ちゃん」としての自分だけではない人生を考えられたように。 1人になることを目標にすることで、独りになる恐怖を克服した美路人。愛生も寅じぃのお店で働くことに。そんな未来が来るなんて、少し前までは想像もしていなかったことだろう。柚留木や祥吾も自分ではなかなかつけることができなかった区切りのときを迎えているように見えてホッとした。そして、ライオンも小学校へと力強い足取りで向かう。守られるべき存在だった人たちが、笑顔で新たな一歩を踏み出している。その姿に目頭が熱くなった。 ウミネコは海を飛んでいるからウミネコではない。山を飛んだって、陸を飛んだって、ウミネコはウミネコだ。それは、どんな状況にあっても自分は自分の人生の主人公なのだという原点に立ち戻らせてくれる言葉のように感じた。人はどうしても自分の置かれた境遇から逃れられないと思ってしまう。それが大変であればあるほど、強く思い込まされてしまうもの。けれど、きっと選択肢はそれだけではない。そして、今は見えないかもしれないけれど、その新たな選択をするあなたを助ける手がきっとある。そう信じてみたくなるラストだった。 そんな気持ちにさせてもらえたのは、『ライオンの隠れ家』がさまざまな困難を抱える人たちが「普通の」生活を送る人たちとして描かれたからこそ。ともすれば、当事者たちが違和感を覚えてしまうこともありそうなデリケートな事情も、誠実に演じていたキャスト陣、そして「あまり意地悪しないでほしい」とインタビューで語っていた脚本家たちにも敬意を表したい。私たちの住むこの世界は、きっと思っているよりもやさしいはず。そんな希望を抱かせてくれたことに感謝を込めて。
佐藤結衣