職場をクビ→43歳でシェフに転身した女性が「人気者」になっていった経緯、ブランドはこうして作られた
しかし、私たち夫婦は、それは運がよかっただけだとはっきりわかっていました。なぜなら、皮肉なことに、私の目的はブランド名を作ることではなかったからです。私はただ、自分のレシピをシェアして、みんなが私の料理を家庭で楽しめるようにしたかったのです。 もっとも、ブランド名を持つことで、私のキャリアは変わりました。私の場合、レシピについては何一つ隠すことなくすべてを公開しているので、理論的にはその料理に最適な食材さえわかり、手に入れられさえすれば誰でも私の料理を作ることができます。
そうした中で、ブランドを築くことは私の料理を差別化することに役立っています。また、このブランドがあることは、私のレストランに来たことのないお客さんと信頼関係を築くのにも役立っています。何よりもこのブランドが私が日本に進出するのに必要な自信を与えてくれました。 今、私の店は東京・中目黒にあります。香港の店よりさらに小さく、わずか4席しかありません。そのため、普通のレストランより値段は高いのですが、プライベートな空間で本格的な中華料理を楽しんでもらえます。ニッチな分野のせいなのか、予約はつねに半年先まで埋まっている状態でした。
■実はレストランでは予約を受け付けていない しかし、個人で料理を提供するのは簡単なことではなく、年齢を重ねたこともあって昨年半ばには予約を受けなくなり、今レストランは主に私の研究開発のために使われるようになりました。 一方で、私は自分の料理をより多くの人に伝えるために、著名ホテルでゲストシェフとして働き始めました。興味深かったのは、ホテルで私の料理を食べた方たちは、私の店にくる方たちより中国料理に詳しくなかったこともあって、”馴染みのない”私の料理に驚きを覚えたことでした。
誤解を恐れずに言うのならば、多くの人が「本物の中華料理を知らない」ということだと気づきました。味はおいしいかもしれませんが、本格的な中華料理ではないのです。そのため、今度は私のレシピ本を日本語で出したい、と思うようになりました。それが私の情熱であり、使命でもあると感じているのです。
グレース・チョイ :ChoyChoy Kitchenシェフ