東京をアジアのコンテンツ市場の中心地にした男は、30代には商社で鉄を売っていた TIFFCOM・CEO椎名保
TIFFCOMを成功させた資質
彼の就任後、TIFFCOMは「アジアで最も重要視されるコンテンツマーケット」として不動の地位を固めた。筆者が5年ぶりに東京国際映画祭を訪れた今年も、TIFFCOMの成果はめざましかった。国内及び海外からの参加者数は4088人で、昨年比106%、そのうち海外からの参加者数は1722人で、昨年に比べて125%だ。セミナーも15企画、昨年の倍以上、10月30日から11月1日までの期間中、東京都立産業貿易センター浜松町館が一日も途切れず埋め尽くされたという。 今のような世界的な不景気の中で成長を続ける催しなど存在するだろうか。しかしよく考えてみると、これも全く不思議ではない。それもそうだろう。日本の経済界でアンドリューㆍカーネギーになるかもしれなかった人物が、スコットㆍルーディン(アメリカの著名なプロデューサー)になって、目に見えない付加価値の取引が行われるマーケットのリーダーになったのだから。そして本人に話を聞いてみると、成功は当然のことだったとしても、そのプロセスには筆者の予想を超える要因があった。
聞く耳、積極思考、コンテンツ活用
まずは聞く耳だ。インタビューでもわずか30分で「どこかへ飲みに行きませんか」と誘いたくなるほどの人当たりの良さ以外にも、極めて受容的で柔軟な感性の持ち主だった。このような人がコンテンツビジネスの世界で数多くの人々と出会って話を聞き、それを自分のものとしてきたなら、蓄積された潜在力は膨大に違いない。一方、こうした柔軟性とともに維持している原則が、ポジティブシンキング(積極思考)だ。失敗を経験しても萎縮せず、むしろ「早く失敗してダメージを最小化できてよかった。 ただし、これからは必ず改善していく」という心構え。 次はコンテンツに対する姿勢。映画、テレビ、アニメなど形にこだわらず、プラットフォームの区分が溶解する現実に機敏に対応し、「オールメディアのクロスオーバー」という戦略を実現する。IT環境の変化とワンソースマルチユース(OSMU)のような市場環境の変化に呼応して消費者のニーズの多様化が進む中で、生産者として硬直化せず、コンテンツの全方位的な活用を前提とする戦略を立てるべきだという。まるで「フォーマット」に執着する流派の旧態依然の枠組みを壊す行動で剣聖の座に就いた、宮本武蔵だ。 この全てを、まるで画家がキャンバスに絵を描くように無限に自由に展開できる場が、TIFFCOMだった。22年前の「ピンポン」がそうだったように、「ドメスティック」が思考の枠に割り込むことを許さない。国際共同製作を推進するとともに、ボーダーレスの環境において先の見えない不確実性に対しても緊張することなく、例えばプロ野球選手のプレーといった想像を超える素材でさえもIP(知的財産)として活用する創造的経営で、みんなの心を動かす。そして言及しておきたいのが、TIFFCOMを「成功の公式についてヒントを提供する空間にしたい」という国際貢献の姿勢だ。となれば、TIFFCOMは単なるマーケットではなく、立派な学びの場ではないか。 インタビューが終わる頃には、まるでビジネススクールのセミナーを修了したような気分になった。12年の間にTIFFCOMを素晴らしく成長させた、彼の戦略を味わったからだろう。前途有望な商社マンからコンテンツビジネス分野に移り、時には映画製作スタッフの仕事もいとわずにキャリアを築いた男、椎名保の37年の思いも。
洪相鉉