阪神・掛布2軍監督と1軍昇格したドラ1高山を結ぶ不思議な縁
阪神のドラフト1位、高山俊外野手(22、明大出)、同5位の板山祐太郎外野手(21、亜大)、育成契約の原口文仁捕手(23)の3人が、今日24日の練習終了後、沖縄の1軍キャンプに合流することが23日、発表された。それぞれが高知・安芸での2軍キャンプで結果を残し掛布2軍監督が金本新監督に推薦していたもの。高山は、右手有鉤骨骨折で出遅れたが、初のシート打撃で2安打、練習試合には2試合しか出場していないが、22日の独立リーグの高知ファイティングドックス戦では、左、右、中と見事に打ち分けて3安打。掛布2軍監督は、1軍推薦の条件を2試合で「10の3」以上としていたが、「6の4」でGOサインを勝ち得た。 掛布2軍監督は、高山を1軍へ送り出すにあたり「大きいの(ホームラン)を狙って自らのバッティングを崩すな。体が止まって打てている打席もあるんだから、その感覚を忘れるな」とアドバイスを送った。 掛布2軍監督は「高山には不思議な縁を感じる」という。 「実は阪神で一番最初に来たユニホームが背番号9だったんだ」 掛布2軍監督は、高校監督だった父親の人脈を頼って安藤統男氏(当時、内野手守備コーチ)の紹介で1973年に阪神の甲子園で行われていた秋季キャンプで入団テストを受け、そこでそのセンスの塊のようなバッティングを披露して甲子園で練習中だったコーチや選手を驚かせ、ドラフト6位指名につなげたのだが、そのテストで着たのが背番号「9」だったのだ。 「安藤さんの現役時代の背番号が9でね。高校のユニホームではまずいだろうということで、そのユニホームを貸していただいんだ。結局、9はドラフト1位の佐野さん(現在スカウト部長)が付けることになったんだけど、最初に袖を通した背番号だからね」 また掛布2軍監督は、1986年4月の対中日戦でルーキーの斉藤学から左手首に死球を受けて骨折、連続出場が663試合でストップしていたが、その際、手首にメスを入れた医師の血縁者が、昨年10月の高山の右手有鉤骨骨折の手術も行ったという。 「僕は、入った年のオープン戦で、本当に運よくもらった試合出場チャンスで結果を残し続けた。藤田平さんの結婚式や、野田征稔さんのご家族のご不幸で、代役スタメン出場させてもらい、日生球場で4の4を打ったり、最終的にオープン戦で18打数8安打2二塁打くらいの結果を残して、当時の金田監督が、開幕1軍登録メンバーに入れてくれた。時代は違うが、高山も、金本監督が納得するだけの数字は残す必要はあるだろう。運をつかめ!などとは言いたくないが、運を語るにふさわしい準備はしておいてもらいたいね。これは今、1軍に残っている横田、陽川らにも伝えたい言葉だけど」 掛布2軍監督の熱いメッセージを胸に。 阪神の将来を担う若虎たちの真のサバイバルゲームがここから始まる。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)