闘病中の宮川花子が伝えたい<がんとつきあう難しさ>。「SNSで見かける投げやりな投稿。痛いほどわかるけど、私が今生きていられるのは…」
夫婦漫才コンビの宮川大助・花子さんは、2024年11月にコンビ結成から45年を迎えます。妻・花子さんは2019年、血液のがん「多発性骨髄腫」と診断され、現在も闘病中。夫・大助さんは、ご自身も腰の痛みを抱えながら、花子さんを懸命に支え続けています。そんな大助さんに対し、花子さんは「どれだけ深刻なときでも、あの人といると笑ってしまう」と語っていて――。今回は、お二人の闘病・介護の日々が綴られた著書『なにわ介護男子』から一部引用、再編集してお届けします。 【写真】宮川花子「闘病には皆さんの力をお借りしています。だから私はいつも笑顔で」 * * * * * * * ◆伝えたい。多発性骨髄腫という病気のこと 抗がん剤の副作用で心肺停止寸前という大変な経験をしたおかげで、がんという病気への考えが改まりました。 多発性骨髄腫に限ったことではないと思いますが、がんになると誰もが完治をめざします。 私もそうでした。元の健康な体に戻りたいと思うのは当たり前のことですもんね。 でも、そんな単純な話じゃないんです。 腫瘍をやっつけようと抗がん剤を急げば、心不全になることがある。 介護してくれる人に遠慮しておしめ交換をお願いしなかったら、感染症から敗血症になって、あっという間に死んでしまうことだってある。 まったく予想しなかった副作用に苦しんだり、ほんのちょっとしたことから症状が悪化して重篤な状態になったりするんです。 がんそのものより、その周辺症状に苦しむことが多いと言っても決して大げさじゃありません。 それが、がんとつきあう最大の難しさだと思います。
◆一生つきあっていかなければならない病気 2019年に記者会見で病名を公表したときには、私もそんなことは知りませんでした。 完治に向けてまっすぐにがんばればいいと考えていたんです。 ところが多発性骨髄腫は、治る病気じゃなかった。 症状に応じて適切に治療しながら、一生つきあっていかなければならない病気でした。 最初からそのことをもっと意識しておけば、防げたことがたくさんあったと思います。 この記事を書いたのは、私自身の苦い経験から得たものをできるだけ多くの人々に伝えたいと考えたからです。 多発性骨髄腫は、悪性リンパ腫や白血病と同じく血液のがんですが、発症するのはたいてい60代以上。 そのため、若い人たちはほとんど知りません。年輩の人でも知らない方が多いでしょう。かく言う私も初耳でした。 知識がないために患者だけでなく家族もポカンとしてしまい、何をどうすればいいのか、どこに注意して生活すればいいのかわからず右往左往してしまうんです。 もし多発性骨髄腫と診断されたら、病気をちゃんと理解して賢く闘病してください。