硫黄島兵士たちの「食事の実態」~大根やほうれん草が「ごちそう」だった
硫黄島兵士の食への思いを追体験
ちなみに戦時中の硫黄島守備隊の兵士たちの食事はどうだったのか皆様、ご存じでしょうか。生還兵の石井周治氏が1952年に出版した回顧録『硫黄島にささぐ』には、食事に関する記述がありました。 やはり現在と同じように物流上の理由で、食事に「生野菜などもちろんありっこな」かったといい、乾燥ワカメばかりだったそうです。「副食は大抵わかめ、朝昼晩とわかめの味噌汁、わかめのすまし汁、わかめの煮付の献立がつづ」いたとのこと。「内地から送られる副産物の大半がわかめなので、ついに兵隊は南波止場をわかめ波止場と呼」でいたそうです。 「それでもたまに大根、ほうれん草などの乾燥野菜が(南波止場に)着」くことがあり、それらが「ご馳走の部類」だったとのこと。 ある意味、遺骨収集団員にとって、硫黄島での2週間の滞在は、ナマモノを渇望した兵士達と同様の思いを追体験する機会でもあったと言えそうです。
酒井 聡平(北海道新聞記者)